「太平洋戦争的に家電業界を検証する」をミリヲタ的に見てみた

太平洋戦争的に家電業界を検証する - とある青二才の斜方前進 太平洋戦争的に家電業界を検証する - とある青二才の斜方前進


家電業界のことについては正直な所詳しくはしりませんが、これ読んだ人が旧海軍に対して誤解を抱きそうなので、ミリヲタ目線でのツッコミというか補足をしてみます。

結論としては、当時の日本海軍の立場って家電業界と言うよりも、イオンの生鮮食品売り場とガチで勝負しようとした商店街の八百屋ぐらいじゃないか?的な。

曖昧な「大艦巨砲主義」

「大艦巨砲主義」に対する説明として

今ふうに言うところの「一品豪華主義」とか「匠の技」とでも言えばいいかな?全体の戦略よりも1つの逸品にこだわる。

という「一品豪華主義」であるという説明と

1、についてちゃんと説明すると…かつて海戦は戦艦で行うものだった。戦艦同士が射程距離が長い巨砲を搭載し合って、遠距離で打ちあった。
日本一有名な戦艦「大和」はその最たるもので、戦艦としてはアメリカに大和のサイズのものは当時作れなかった。(※技術的な問題ではなく、「パナマ運河を行き来できない」という戦略的な事情で作らなかった)
ところが、大和自体の戦果はすご~くショボい!巡視船を1隻沈めたとかそんなレベルで、最後は沖縄に向かう途中で戦闘機に蹂躙されて約3000人の乗組員のほとんどが死んだ。

時代は戦艦から戦闘機、空母の「航空主兵論」に移っていて、そのきっかけが「真珠湾攻撃」だ。これで日本側よりもアメリカ側が空母・戦闘機の必要性に着眼して日本側はミッドウェー海戦の敗北まで本格的な転換方針は取らなかった。(※戦闘機の生産が追いつく頃には熟練のパイロットの大半が亡くなっていたため、結局はまともな航空戦ができなかった事が「台湾沖海戦」へと結びついていく。)

という海戦での「航空主兵論」の対と成るものとしての「大艦巨砲主義」が説明されている部分があってモヤモヤするんですが、とりあえず両方について解説。

1.「航空主兵論」との対比としての「大艦巨砲主義」

建造計画

旧日本海軍というと「航空主兵に切り替えた米海軍と比べて、旧態依然な大艦巨砲主義にこだわり続けて敗北した」というイメージが付きまといますが、果たしてそのイメージは正しいのか・・・
ってことで日米双方について、開戦後に建造した戦艦の数と空母の数を比較して見ましょう。「失敗の本質-日本軍の組織論的研究」p303の表2-1をもとにグラフを作成。

絶対数はともかく、比率としては結構似てますよね。というか「アメリカ側が航空主兵に切り替えた」にしては戦艦てんこ盛りですが(そもそも空母の建造数が凄くて比率にしちゃうとインパクトに欠けますが、5年で戦艦10隻ってのは相当なインパクトですよ)。
あと、ここで示した「空母」には護衛空母(表2-1では「小型空母」表記。厳密に言うと「小型空母」と「護衛空母」は異なるカテゴリですが、元表では同じ意味として使用されていると判断)は除いてます。護衛空母は空母機動部隊の中核と成る空母とは違って、船団護衛や対地支援、潜水艦狩りといった用途に特化した艦種であり、艦隊向けの空母とは別枠だからです。護衛空母まで「空母」に含めるとアメリカ側の空母数が一気に100隻以上になり、あら不思議「アメリカ側が航空主兵に切り替えた」データの爆誕です・・・が、上記の理由で採用しません。

「でも、ミッドウェイで負けるまでは戦艦作り続けたんじゃないの?」ってな疑問が起きそうですが、それも誤り。大和型三番艦(110号艦、のちの空母「信濃」)は1941年11月(ミッドウェイの半年前)に戦艦としての工事は中止。ただし、あるていど船体が出来ていたので、ドックから追い出すためだけの(いつまでもドックに居座られてたら空母や潜水艦が作れないし)工事が続けられます。ちなみに四番艦(111号艦)はこのとき即時解体。
まあ、ミッドウェイで負けてから110号艦の空母改装が決まったり、雲龍型空母の量産計画が始まったりと尻に火がついたというのは間違いありませんが、それ以前の時期でも大艦巨砲は見切られ気味です。
そういう必死な努力の結果が結局のところ上のグラフに出てる建造艦数の差な訳で、色々絶望的。いやー、金持ちさんは戦艦も空母も揃えて横綱相撲できて羨ましいですねと。

戦術的な側面

「でも、やっぱり現場は大艦巨砲にこだわり続けてたんじゃないの?」って疑問が起きそうですが、これも誤りと言えば誤り。

所謂「鉄砲屋」(砲術士官)の中には最後まで大艦巨砲を捨てなかった人も居ました。

例えばこの人。戦後刊行された「海軍砲戦史談」は海上砲戦の歴史をネルソンから掘り起こして解説してるめっさ面白い本で、例えば章のタイトルが「1.砲術を愛した使徒」とかそれはもう溢れんばかりの大艦巨砲愛に満ちていますが、「真珠湾攻撃せずに洋上で戦艦同士の決戦をやれば勝てた!」という主張は流石にドン引き・・・

それはともかく、大規模な海戦での作戦行動を見てみると、そういう「鉄砲屋」色の強い作戦ってあまりありません。
ミッドウェイ海戦は空母機動部隊同士の殴り合いでしたし、ミッドウェイの2ヶ月後に行われた第二次ソロモン海戦では

(第三艦隊の担当参謀が書き上げた戦策は)
「第三艦隊は、航空決戦をすることが主目的である。したがって、空母が中核でありその他の水上戦力は母艦に協力する」
というのが趣旨で、これまでの戦艦を中心とする艦隊決戦の考え方を一変させていた。

(吉田 俊雄「海軍参謀」p124)

海軍参謀 (文春文庫)

海軍参謀 (文春文庫)

と、もう「大艦巨砲で殴り合い」なんて寝言扱いです。具体的にどうしたかというと、戦艦部隊を前衛として敵空母部隊の方向へ前進させます。でもって索敵や母艦機の誘導を行い、敵空母が航空運用能力を失ったところで近接砲撃・・・という段取りです。もし空母同士の殴り合いに負けたら?一方的にタコ殴りされます。うん、はっきり言って捨て駒扱い。
まあ、この方策は事前のネゴ抜きで急遽決定したものであったので、「鉄砲屋さん」たちとの意思疎通が上手くいかずにゴタゴタしてしまいますが・・・。

この数カ月後、南太平洋海戦では前衛部隊として戦艦「比叡」「榛名」が投入され、上記の作戦案が一回限りのものではなく継続的に採用されていることが伺えます。

さらにその後、太平洋の天王山、マリアナ沖海戦では、「大和」「武蔵」が前衛部隊に入ってます。

さらにその後、比島沖海戦では敵の航空戦力にすり潰されることを前提として戦艦部隊が全力投入されていたりと、前衛どころじゃない消耗品っぷりです。

あと、(時期的に遡りますが)1942~43年のガダルカナル島をめぐる戦いに「大和」や「長門」が投入されなかったのは出し惜しみというより「重油不足で出すに出せない」って理由のほうが大きいかと。

まあ、戦術的にはミッドウェイ海戦後に航空主兵へ移行した・・・と言えなくもないけど、よく考えるとそれ以前も戦艦の出番が無かった。「邪魔にならないように後方に置いとけ」扱いが「消耗しても構わない」扱いになってるだけで。

航空機生産

「でも、航空機の量産が本格化したのはミッドウェイの後じゃないの?」って疑問が起きそうですが。そのまえにこのグラフを見て欲しいです。(森本 忠夫「貧国強兵」p57, 第2.1表を基に作成)

なんかね、もう1941年時点で日本は航空機生産で米に4倍差をつけられてるんだ。しかも米の場合、欧州向け戦略爆撃用に作るのに手間のかかる大型四発機が大量に含まれててなおかつこの圧倒的な差。しかも年を追うごとに広がっていく・・・・。
あと、1941年時点で開戦してない米国の航空機生産がすでにアクセル踏みまくってる状態なのは、それ以前に欧州向けの輸出機生産が始まってたり、日本向けに航空機部品を輸出したりですでに戦時量産モードに移行してたから。

貧国強兵―「特攻」への道 (光人社NF文庫)

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しかし・・・たとえ日本で航空機の量産が半年早まっても、それで何か有意な違いが出るんかねコレ。それに数だけ揃えばいいってわけじゃなくて、搭乗員の育成とか飛行場の設営能力とか整備体制とか色々と問題が有りすぐるし、この辺は歴史改変でもして産業基盤を飛躍的に強化しないと埋まらないレベル。

2.「一品豪華主義」と艦隊決戦思想

さてさて、やっとこさ「一品豪華主義」に対する説明というか日本海軍視点での弁明に入る。
ぶっちゃけいうと、日本海軍は対米「戦争」で勝てない。ワシントンに日章旗を掲げることは出来ないし、戦力的にも戦間期に海軍条約で米海軍の艦艇保有数に枷を付けることで、なんとか「戦争」では勝てなくても「戦闘」で勝てるレベル。
なら、艦隊決戦で勝って一撃で米海軍の能力を奪い去れば、「戦闘」の勝ちを「戦争」の勝ちに持ち込めるかも・・・・というのがいわゆる「漸減作戦」構想や「海戦要務令」(作戦マニュアル)に見られる艦隊決戦思想。


もともと数的に不利なので、個々の艦艇レベルの性能優越(個艦優勢)と訓練でなんとかするしか無かった。だから大和型を作った。
もともと数的に不利なので、後方の船団護衛とか考慮する余裕が無かった。だから1944年に入るまで満足に船団護衛もできず、海防艦を量産したときにはすでに遅かった。
もともと数的に不利なので、正面戦力の差を縮めるために限り有る潜水艦は商船や輸送船団ではなく厳重に護衛された艦隊や泊地を狙うしか無かった。だから物凄い勢いで潜水艦が消耗していった。
もともと数的に不利なので空母機動部隊に活路を見出したが、飛行機は艦艇以上に量産が効いたのでアメリカとの国力の差がモロに出てたちまちジリ貧になった。
なけなしの造船能力を有効に使うために戦艦の建造を打ち切り、海防艦と潜水艦と空母と松型駆逐艦に割り振ったものの、そこまで努力してもアメリカの生産力が一桁上だった。


こういう、国力的に元々無理ゲーな対米戦を何とか戦うための精一杯の努力の結果が、「一品豪華主義」だったり「護衛軽視」だったり「潜水艦作戦への無理解」だったりという歪な戦力構成な訳で。
(どうでも良いけど、「選択と集中」がイケてるキーワードだった頃に上記の理由で日本海軍をべた褒めする言説が無かったことがふしぎで成らない・・・嘘です)

まあ、対米戦をあきらめて、アメリカとガチで戦えないけどそれなりにバランスのとれた海軍を作るっていう手も有ったかもしれないけれど、アジアでのアメリカとの利害が一致してないと、この路線も無理。それにもう海軍戦略の話と言うよりも国家戦略の話になる。

もうあのチート国家を仮想敵とした時点で、首に縄がかかっていたとしか思えないモナ。

まとめ

「大艦巨砲主義」以外の項目についても突っ込もうとしたけどもう力尽きた。
ただ、日本海軍の置かれた立場としては、家電業界のアナロジーと言うよりも近所にイオンが出来てお先真っ暗な商店街の八百屋的な悲哀を感じます。


あともう一点。もともとのリンク先エントリとは関係ありませんが、「失敗の本質-日本軍の組織論的研究」が名著とよばれるのは、日本軍と言う事例を解析することで、今日の会社組織にも通じる組織の特性や弱点を洗い出し、しかもその分析内容が非常に説得力を持っていたからです。
「XX業界が不調なのは旧海軍の大艦巨砲主義と同じ」のように、直近の失敗についての理由付けとして旧海軍を持ち出されるのは何というかニョもる。


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失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

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