眉村卓『引き潮のとき』感想

近所の図書館に眉村卓『引き潮のとき』全巻(1~5巻)の在庫があったので年末の時間を使って読んでみた。と感想を書きたいところだけれど、結構思い入れのある(一方で、これまで全巻読む機会が無かった)作品なので、まずはちょっと昔語りを。

『引き潮のとき』との出会い

自分がSFマガジンを読み始めたのが、谷甲州『終わりなき索敵』の連載が始まった1992年で、そのときに連載中の『引き潮のとき』を読んだのが眉村卓との初遭遇でした。ただ、その時点で『引き潮のとき』連載が既に100話を超えていて(当時のSFMは月刊だったので、つまり既に8~9年の間連載が続いていて)、当然ながらあらすじもかなり大胆不敵に圧縮されてたのでよく分からず、他の『司政官』シリーズについてもまだ読んでおらずという状態だったので、正直なところ最初は

読んでいて非常に心地よいものの、延々と自問自答を繰り返しているだけで話がどんどん先へ続いていって、一年経ってもストーリーが進んだのか進んでないのかよく分からない(そもそもあらすじにある最終目的の「星区ブロック化阻止」というのもよく分からない)。最終話も読んだけど、しかしこれはどう解釈したら良いのか…

という感じだったのですね。
ただ、その後に復刊されたハヤカワJA版『司政官』を読んだり、更にその後にハルキ文庫で復刊された『消滅の光輪』を読んだりして『司政官』シリーズの世界観や独特の自問自答文章スタイルにも慣れて、『司政官』シリーズのファンにはなったのですが、しかしこのシリーズと初遭遇した『引き潮のとき』だけは、「そもそもストーリーの最初の頃が全くわからない」という状態のままでずるずると来てしまったのです。なんといっても文庫化されなかったし。

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で、10年ほど前に創元推理文庫で『司政官』シリーズが復刊されたときに、いよいよ文庫化されるか!と思ったのですが、されずじまい。

www.tsogen.co.jp

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その当時だと古書で全巻揃えたら3万円ちょっとぐらいになっていて、そこまでかけて古書で揃えるよりも創元推理文庫で文庫化を待つか…と思っていたのですが、2019年に著者の眉村卓氏が死去。

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そしてあれよあれよという間に古書価格が高騰(現在はだいぶ落ち着いてますが)

これはもう手を出せないな…古書で買っても権利者にお金が廻るわけでもないし…ということで、復刊待ちも古書で揃えるのも諦め、図書館で借りて読むことに。

ということで感想(ネタバレあり)

1~2巻

とりあえず、主人公であるキタ・PPK4・カノ=ビアへ極秘任務が与えられるまでのまとめ。

時代的には『消滅の光輪』よりもさらに後、司政官が花形職種だった時代は今や昔となり、植民星系に司政官が配属されない(連邦による直接統治が放り投げられた)ケースも多数出ている状態。一方で司政官の育成は従来どおりのペースで進んでいるので人余りが発生。余った(とはいえエリートであることは変わりないのだけれど)司政官は研修をこなすだけで手当がたっぷり出て生活に困らない待命司政官となり、「待命」のままで過ごした後に他のキャリアや民間企業へ転身していくことも珍しくなくなっていた。

が、惑星タトラデンで孤児として育ち、赤貧の境遇から己の能力だけを頼りに待命司政官まで登ってきたキタ・PPK4・カノ=ビアは、実際に司政官として配属されることを(半ばあきらめつつも)熱望していた。そして遂にキタに念願の配属命令が下るが、その配属先は出身惑星であるタトラデンであった。

タトラデンには中央政府がなく(植民初期には司政庁が中央政府であったものの、他の『司政官』シリーズの植民世界と同様に、社会が発達していくうちに存在価値が希薄になり)植民初期から続く各地の「名家」(財閥的な存在)のゆるやかな結びつきにより、旧態依然として伝統に囚われながらも安定した社会を築いていた。そして社会的安定により力をつけたタトラデン社会には、周辺の植民惑星や地方軍による連邦からの独立(星区ブロック化)を目指す機運が生じつつあった。
連邦側としてはブロック化による恒星間内乱を阻止するために、司政官の立場からタトラデン社会を不安定化することで諸勢力を互いに衝突させ、大混乱を巻き起こす必要があるという結論に至った。もちろん、そのような意図は誰にも、司政のための要となるAIであるSQ1にすら感づかれてはならない。そしてそのような微妙な操作を行うには、その星系の出身者で社会を熟知し、かつ司政官としてトレーニングを受けたキタが適任だった。

キタにとっては、かつての自分を排斥したタトラデンの伝統社会を突き崩すことに魅力を感じる一方で、それは故郷や子供時代の仲間への裏切りでもあると自覚しており、さらにその任務に失敗した場合は星系を跨いだ大規模内乱と連邦軍による鎮圧という、より救いのない結末が待っていることも分かっていて…


いやこのあたりの情報がほぼ無いままで100話過ぎたあたりから読み始めてもそりゃ右も左も分からないのは当然だよな…

序盤の展開は『司政官』シリーズとしてはかなり変化球という印象。このシリーズの主人公は、基本的には「感情を制御し、まるで機械のような」存在であることが理想という描かれ方が多いのが、キタの場合は子供時代の思い出や(ある程度割り切っているとはいえ)名家への反発、十数年ぶりに生まれ故郷を訪問したときの戸惑いといった心の動きが(もちろん、司政官として外面にはほぼ出さないものの)丹念に描かれてるあたりはかなり驚きです。あと、人に会うときも「司政庁の面会室でロボット官僚に囲まれて面会」という従来のパターンではなく、舞踏会や談話会といった「相手の土俵で出たこと勝負」な場面が多い。そしてまた、この会話シーンが一種の決闘に近いというか、表面的には当たり障りのない会話を真剣の鍔迫り合いとして描く筆力はものすごいのですよね。

あと、これまでのシリーズでは(頭が固いとはいえ)司政官にとって何よりも信頼できる存在であったSQ1(司政用AI)を信頼できないというあたりも重要。秘密の目的であるタトラデン社会の不安定化なんて話をストレートに持ち出しても受け付けてくれないので「如何にしてSQ1を嵌めるか」が重要になってきます。「タトラデン社会の発展のためにこれこれこういう施策が必要」のような布石を丹念に積み重ねることで最終的に不安定化へ導かないといけないという難しさ。

3~4巻

2巻後半から3巻、4巻にかけて、結構色々とイベントやアクシデントは発生し、それらへの対応としてタトラデン社会の不安定化への布石が積まれていくのですが、しかし全体的な状況としてはかなり停滞しています。このあたりはなんというか

「事件Aが発生した。背景には勢力Bと勢力Cが居ると推定されるが、勢力Dも関与しているかもしれない。仮のその場合は対応Eを、そうでない場合には対応Fを取るべきだろうか。しかし、対応EにせよFにせよ、あくまで司政原則を重視するSQ1が受け入れない可能性が高い。不完全ではあるが、どちらにせよ対応Gを取るしか無いのではないか。対応Gを取った場合には状況は悪化する可能性が高いが、しかしそうなった場合には逆にSQ1へ対応EやFを受け入れさせる事ができるのではないか。そして対応EやFを取ることで勢力Hは...(略)」

のようなひとりツッコミというか自分との対話が延々と続くのですよね。ある意味でかなりじれったい展開なのですが、そこは眉村卓の筆力でぐいぐいと気持ちよく読ませてくれます。
ただまあ、上で書いた1992年のSFM掲載分がだいたいこのあたりで、それ以前の前提条件になる情報がほぼ欠けている状態でこのあたりを乗り切るのはだいぶ微妙だった記憶。

5巻

なんと、1巻の頭から積まれていた伏線が、連載開始後十年以上経過して炸裂!SQ1にクリティカルヒット!!
さらにこれまで丹念に丹念にじっくりコトコト積み重ねられてきた布石と相まって、タトラデン社会は一気に不安定化!!!
キタ司政官大勝利!!!!

ではあるのだけれど、子供の頃からの思い出も、駆け引きを続けつつも共闘体制を取っていた名家も、「地元出身の司政官」のために文字通り命を懸けてくれた協力者の献身も、すべてを踏み台にしたことで成し遂げられた「タトラデン社会の不安定化」(止まらないインフレや名家同士の日常的な銃撃戦や難民の大量発生を一言で表したらこうなる)

キタ自身は不安定化の先に希望を見出してはいるものの、しかしこー、眉村卓読者としてはどうしてもこの本で描かれた光景を思い出してしまうのです。

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まとめ的な何か

なんというかこー、キタ自身の故郷への思いにせよ、キタに与えられた使命にせよ、その使命を達成する手段にせよ、全てがアンビバレントなのですね。なので当然結末もアンビバレントなものになり、なんともいえない有耶無耶のようなこれで良いような悪いような、しかしこれ以外の終わり方は無いのではないかという不思議な納得感もありという。


間違いなく傑作ではあるのですが、何がどう傑作なのか分かるように説明しろと言われると何も説明できないような、そんな作品。

あと、十年以上かけて書かれた作品にも関わらず、最初から最後までかなりきっちりと構成されているのも印象的で。上で書いた伏線以外でも、1巻で描かれた「少年時代のキタと名家の跡継ぎとの仲が決定的に決裂した出来事」が、5巻で描かれた「その名家の跡継ぎの結婚式にキタが出席する」場面でさり気なく触れられていたりとか。文書量的にも掲載期間的にも大長編なのですが、とにかく隅々まで気が配られていて完成度が高いのです。


「凄いSF」かというと個人的にはちょっと微妙ですが、「凄い作品」なのは間違いないです。