安易に「国民性」を語るのは危険というか、単にステロタイプ
正直、余り他所のブログの内容についてマイナス方向の批評とか余り書きたくはないけれど、ちょっと気になったので。
とらっしゅのーと : 日本人はチームワークが苦手です 〜1300年の戦史が語る日本人の国民性〜
ブコメで書いた内容とは結構ズレた気がするが・・・まあいいや。
白村江の戦いの軍事的評価と国民性について
これは余り国民性とは関係無い気が。戦場で両翼包囲とか迂回とか適切なタイミングで予備兵力を投入したりとかできるのは、軍隊に明確な指揮系統が存在し、平時からきちんと集団として訓練されているかどうかによる。このへんの訓練は中央集権国家だとやりやすいし、封建国家(寄せ集め軍隊)だとやりにくいというだけ。
この例が示すのは、"国民性"というよりもむしろ日本・百済連合の後進性でしょう(いや7世紀の時点で大唐帝国と比較して後進的と言っちゃうのもあまりに厳しすぎる気がするけど)。むしろ、白村江以降の日本が急激に律令国家(中央集権国家)化していることから、敗北から適切な教訓を導く能力を評価しないと片手落ちになるかと。
朝鮮出兵の軍事的評価と国民性について
これも基本的には上と同じで、朝鮮に侵攻したのは「日本軍」でも「豊臣軍」でもなく、豊臣家を中心とした諸大名連合軍だったから。そりゃ引用されているような差がでますよ。
まあ、これも100年以上続いた内乱が終わった直後なんで、こんなものでしょう。この件についても、あんまり「国民性」とは結びつかないと思われ。
太平洋戦争の軍事的評価と国民性について
現代日本との社会の連続性とかも考えると「国民性」と結びつけた議論ができるのは、この辺の明治期以降の時代からじゃないかな。
で、この時代の日本軍が抱えていた問題は、「チームワークの欠如」というよりもむしろ「失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)」であげられているような「組織が持つ柔軟性の欠如」が問題じゃないかねえ(過去エントリで書いてた)。そもそもチームワーク自体が機能していないと、戦況が不利になったとたんに組織自体が溶けてなくなってしまうし(例としては1940年のフランス軍(溶けてる情景を過去エントリで書いてた)や、北アフリカ戦初頭のイタリア軍)。
旧日本軍の「組織が持つ柔軟性の欠如」がただ悪いだけかというとそうでもなく、「組織の強固さ」と対になるものだと思う。どんだけ強固かというと、戦死者よりも餓死や栄養不足による戦病死者の方が圧倒的に多い戦場で、しかも負けているにもかかわらず組織が完全に崩壊せずに機能する程。あるいは、通常の「死ぬかもしれない作戦」ではなく対艦特攻作戦のような「100%確実に死ぬ作戦」を大々的に実行しても反乱が起きない程。(その分構成員の負担が半端無いけど)。
この辺の特性は戦後の日本社会に、かなり薄まった形で受け継がれていると思うので、その点については「国民性」と言って良いかも知れない。ついでに言うと、そういう特性がプラス方向に作用した場面(たとえば、明治期の発展や、戦後の高度経済成長期)もあるはずで、「こういう国民性だから駄目なんだ」的な一方的な議論は遠慮したい(別に「日本国民だったらこういう国民性は素晴らしいと認めろ!」とか言ってるわけではなく、負の側面だけを切りだしてもあんまり意味が無いというだけ)。
太平洋戦争と国民性議論
蛇足だけど。
戦争経験者の方々が太平洋戦争(と書くと大陸や東南アジアでの作戦を無視しちゃうようで、どうも気に入らないけど・・・)の結果を日本人の国民性という視点で書いていることが結構有るけど、書いて有ることを鵜呑みにしちゃうのはどうかと。
たとえば、山本七平「一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)」や大岡昇平「俘虜記 (新潮文庫)」は、捕虜収容所で日本兵捕虜の作る共同体が、米軍の介入無しでは無法化していく経過を観察した結果「日本人は自らの手で組織を作り上げることが苦手」論(多分、「チームワークの欠如」論ともつながると思うけど)を展開している。当事者の体験談だから結構説得力があるし、後の日本人論に与えた影響も大きいと思う。
ところが、「捕虜たちの日露戦争 (NHKブックス)」とか読んでみると、日露戦争の頃は露軍の介入無しで秩序を持った日本兵捕虜の共同体が出来ている訳で・・・。
結局のところ、捕虜収容所の中での日本兵捕虜の振る舞いは「国民性」とは関係無く、日露戦争の頃は”捕虜と成ること”が(条件付きながら)名誉として扱われていたが、太平洋戦争では社会的に存在が抹殺されてしまうことにより、捕虜収容所内での無秩序状態につながっただけでは無いかとか思ってしまう。
要は、日本人論とか国民性とかいうキーワードには眉に唾をつけて読めってことで(当然、このエントリも含めて)。