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「風立ちぬ」感想(ネタバレ有り)

こっちでは公開よりだいぶん前だったのでかなりボカして感想を書いていたものの、もうある程度内容に言及してもいいだろうということで、ネタバレ有りで感想を書いてみます。

ちなみに、前回も描きましたが大人向けジブリアニメとしてはこれまでの最高傑作だと思いますが、逆に子供向けとしてはかなり厳しいです。親子連れだと微妙に気詰まりな場面を連想させるシーンもちらほらと。


「僕と契約して、航空機設計家になろうよ!」(嘘)

堀越少年は礼儀正しく折り目よく、下級生を虐める不良グループに真っ向勝負を挑むほどに純粋で強く、空をとぶことに憧れを抱く空想家で、近眼なのが玉に瑕という、どこにでも居る平凡な少国民でした。
しかし、彼に転機が訪れます。学校の先生から貸してもらった海外の航空雑誌、その中に描かれていたイタリア人航空機設計家カプローニが、夢のなかに現れ、囁きかけます。「僕と契約して、航空機設計家になろうよ!」
・・・嘘です。でも大体あってるはず。まあキュウべえというよりメフィストフェレスな気がするけど。

で、カプローニさんがえげつないのが、「旅客機を作るという自分の夢を叶えるために、ガンガン爆撃機を作っちゃうぞー」と明言してるんですよね初手から。都市へ爆弾を落としていく四発爆撃機の群れが出てきた直ぐ後で、彼の描く理想の旅客機から見た、その夢の様な(いや夢のなかだけど)美しい光景。飛ぶことへの純粋な憧れ。堀越少年はこの素晴らしさにあっけなく陥落して航空機設計家を目指しちゃいますが、その後の彼の人生には、常にこの飛行の素晴らしさと対になった暗黒面がつきまといます。

物語の序盤から、空をとぶことへの純粋な憧れの結晶としての飛行機と、無辜の市民へ爆弾を落とすための兵器としての飛行機とが切っても切り離せない不可分なモノであると語られている訳で。この後も折にふれてカプローニの夢の旅客機が出てくるんですが、銃こそ積んでないものの砲座やら垂下砲塔やらが残ってたりするんですね。一見明るいラテン系なノリに関わらず、スペイン内戦あたりを思わせる不穏な雰囲気。


「それはとっても楽しいなって」(嘘)

でもって月日は流れ、堀越青年は航空機設計家としての道を驀進します。
説明抜きでNACAとか枕頭鋲とか航空用語を使い倒し、計算尺を振り回し、図面を引き引き深夜まで。いやここまで真正面に「工学」に打ち込む主人公を描く作品ってそうそうないです。ドイツへ視察旅行に行ったり試作機の設計を任されたりと、「人生で一番創造的な10年」に相応しい活躍ぶりです。
まあこのへんで小説「風立ちぬ」由来のストーリーも前面に出てくるんですが、自分よりはるかに上手く語れる人が居ると思うんでパス。


「・・・地獄かと思いましたよ」

そして、彼は再び夢のなかで、あるいはこの世ではないどこかで、再びカプローニと出会います。

成層圏を舞い、迎撃機を寄せ付けず、地上に死を振りまく、あの銀色の四発重爆。地上に散らばる、黒焦げになった機体たち。
空へと登っていく、彼のマスターピースとなる作品。優雅で、美しく、空をとぶことへの純粋な憧れの結晶。そして、出撃していった者達は殆ど帰ってこなかった、戦闘機。

設計者がどんなに人間的に高潔であっても、そして空をとぶことへの憧れと希望がどんなに純粋であっても、常に死と破壊と硝煙がつきまとう。

そしてこれは航空機にかぎらず、窒素固定法という世界を飢えから救う手段を開発すると同時に毒ガス戦へ全面的に貢献したフリッツ・ハーバー、「人類を月へ送る」という夢のために弾道ミサイル兵器を開発したフォン・ブラウン、原爆が炸裂するまで自分たちの正義を疑っていなかったロス・アラモスの物理学者たち、弾道計算と暗号解読から生まれた電子コンピューターと情報理論

20世紀の夢は、凶暴さで満たされている。
でも、この作品は「だから駄目だ」とも、あるいは「怯まず夢に向かって突っ走れ」とも言わないんですよね。純粋さも愚かさも凶暴さもひっくるめて、ただ「生きねば。」と。

改めて、ミリタリーマニアとしての宮崎駿

宮崎駿氏はミリタリーマニア界隈では結構有名なミリヲタでして、その辺の説明については↓によくまとまってます。


宮崎駿はミリタリーが好きなのか、それとも憎んでいるのか(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース 宮崎駿はミリタリーが好きなのか、それとも憎んでいるのか(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース

まあ、憎みつつも愛すというか、捻くれているというか。このねじれが最も端的に現れてるのが、伝説の「四号戦車改造コンテスト」募集漫画。「泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート」に収録されてるんで、ぜひご一読を。

泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート

この中で宮崎駿氏(の分身)がこんなことを語っています。


「エイズの研究者はエイズが好きで
異常犯罪を研究している者は
犯罪者だとでもいうのかね」

「戦車に限らず、軍事一般は
人間の暗部から来るものなのだ
人類の恥部
文明の闇
ウンコだゲロだ」
「ウーム 面白い
なんという愚かさだ」

「いいかね!!戦車が強そうとかカッコイイから
好きなんてのはな
ただの無知のせいだ
初歩だカケダシだ」
「戦車も軍隊の愚劣さ
民族の幼児性
歴史の残酷さ
人間の悲劇と喜劇
そのすべての・・・」

「結晶なのだ!!!」


と滔々と語った後に、戦車に対する愛に満ちたウンチクが炸裂するというこの「スジは通っているけどなんとも言えないねじれ感」は生で読まないと損です。

同系統の読み物としては、「ベルリン1945―ラスト・ブリッツ」の後書きもお勧め。
ベルリン1945―ラスト・ブリッツ (歴史群像新書)


ただこの辺の、趣味として戦史や兵器を語る上でのある種後ろめたさというか、ストレートに語れないという心理は宮崎駿氏の専売特許ではなく、ある程度年季の入ったミリヲタであれば、多かれ少なかれ持っていると思うんですよね(自分のように、趣味歴はそこそこあるけどそこまで深く突っ込めていない浅いミリヲタですら)。


しかし、こういうねじれをバネにして素晴らしい作品を作ってしまう宮崎駿氏はやっぱ凄いわ。