「よーく考えよ~実験ノートは大事だよー」ってミリカンさんが言ってた
一連の研究不正事件で参照されることの多い「背信の科学者たち」ですが、復刊が決定したようです。
- 作者: ウイリアム・ブロード,ニコラス・ウェイド,牧野賢治
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/06/20
- メディア: 単行本
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「背信の科学者たち」は理系研究でのデータ捏造・恣意的なデータ操作・研究不正についてまとめた古典であり、是非抑えておくべき本ですが、書かれたのが今から30年以上前(1982年)ということで、内容が古くなっている部分がありました。
例えば、今手元にある化学同人から刊行されたハードカバー版では、ミリカンの油滴実験について恣意的なデータ操作による不正が行われていたと書かれています。しかし、最近は恣意的なデータ操作は行われてなかった説の方が有力なようです。
恣意的なデータ操作は行われてなかった説の大本は、David Goodstein 「In Defense of Robert Andrews Millikan」のようです。取り敢えず、「背信の科学者」内でのミリカンの油滴実験についての記述と、"In Defense of Robert Andrews Millikan"の概略をまとめます。
「ミリカンの油滴実験」について
さて、まずは疑惑の対象となっている「ミリカンの油滴実験」について。といっても自分は学部時代は化学系だったので、学生実験などで油滴実験を実際にやった経験はありません。あくまで概略程度で。
実験の目的は、「電子1つあたりの電荷量(電気素量)」を求めることです。そのための実験システムとして、まず霧吹きで細かな油のしずく(油滴)を作ってやります。それらの油滴は、重力に引かれて落ちていきますが、一方で浮力や空気抵抗(空気の粘り気により発生)によって、落下速度はかなりゆっくり目になります。
さて、それらの油滴のいくつかは空気中から電子を取り込んだりして帯電します(X線を当てて強制的に帯電させるような実験方法もある模様)。通常、帯電していようが無かろうが、落下速度に影響はありません。しかし、油滴が電界(電荷が引っ張られる場)の中にいる場合にはどうなるでしょうか?重力。浮力、空気抵抗以外に、油滴に含まれる電荷が電界で引っ張られます。例えば+極が上に来るような電界を作ってやれば、マイナス電荷を持つ油滴は上に引っ張られることになり、落下速度が電界の強さに依存して減少します。
で、電界の強さを変えた時の、油滴の落下速度差を観測してやれば、油滴に含まれる電荷の総量を求めることが出来ます。詳細はWikipedia参照。
油滴の中に含まれる電荷が電子一個分に成ることはまず無く、複数の電子による電荷を含んでいると予想されます。つまり、油滴に含まれる電荷は、電子の持つ電荷の整数倍になるはずです。そこで、油滴実験のデータを解析することで、油滴の持つ電荷が「ある数」の整数倍であれば、その数が「電子一個あたりの電荷」(電気素量)となるはずです。
実際に観測される値や。電気素量の検証方法については、下記テキストで詳しく説明されています。
4011 電子の電荷(電気素量e)の測定(ミリカンの油滴実験)
ミリカンは1910年にこの実験結果を発表し、「電子一個あたりの電荷」の測定結果を発表しました。
ミリカンへの疑惑
この実験の解釈について異議を唱えたのが、フェリックス・エーレンハフトです。
1910年の油滴実験論文データにはある程度のバラつきがありました。ミリカンはそれを実験誤差と解釈していましたが、エーレンハフトは『通常の電子より少ない電荷を持つ「副電子」の存在を示している』と解釈し、ミリカンへの異議を唱えました。
この異議に答え、ミリカンは1913年に再度、よりバラつきの少ないな結果を盛り込んだ油滴実験論文を公表しました。この論文中でミリカンは「これは選ばれた油滴群ではなく、60日間にわたり連続して行われた実験の全ての油滴についての結果である」と、まあ平たく言うと良いデータだけを恣意的にチョイスした訳では無いと述べています。この"正確な"測定データによりエーレンハフトが提唱した「副電子」の存在は否定されます。エーレンハフトは独自に電気素量測定実験を継続しますが、ミリカンのようなばらつきの少ないデータを得ることが出来ませんでした。
その後ミリカンはこの実験によりノーベル物理学賞(「電気素量、光電効果に関する研究」)を受賞し、一方エーレンハフトは幻滅の余りか精神病に陥るという結末を迎えてしまいました。
で、ここからが油滴実験への疑惑なんですが、ハーバード大の歴史学者ジェラルド・ホルトンによると、ミリカンの実験ノートには「きれいだ。これを必ず発表しよう」のような私的注釈が付されており、1913年の論文では恣意的に「きれいな」データのみが選択されていた(つまり、ミリカン説に当てはまるデータだけを選択して公表していた)とのことです。
ミリカンは偽りが明らかになることを案ずる必要はなかった。ホルトンはその理由を次のように書いている。
「ノートは私的なものであった。……だから彼はデータを自由に選び……電荷理論と特定の実験によってデータを導き出した。それを彼はすでに最初の重要な論文の中でも行っていた。そしてその後、彼は発表データには星印を付けないことを覚えたのだ」(「背信の科学者たち」p35より)
要は、観測結果から自分の理論に合わない不都合な部分を切り捨てるような、恣意的なデータ操作で論争に勝利したという疑惑です。「背信の科学者たち」では、このようなノーベル賞級のエポックメーキングな研究ですら研究不正が存在し、しかも結果オーライで見過ごされていたという実例として、ミリカンの事例が取り上げられていた訳です。
ちなみに、ミリカンの実験ノートスキャン画像がカルテクにより公開されてます。
Robert A. Millikan Oil Drop Experiment Notebooks, Notebook One - CaltechLabNotes
Robert A. Millikan Oil Drop Experiment Notebooks, Notebook Two - CaltechLabNotes
結果についてのコメントっぽいことがあちこちに書かれてますが、ミミズの這ったような筆記体で読みにくい。(あと、内容を引用する場合にはカルテクに許可取れと書かれているのでとりあえずリンクのみ)
実験結果は表形式でまとめられており、"G"の欄が電圧をかけない状態、"F"の欄が電圧がかかった状態である油滴が一定距離落下するのにかかった時間とのこと。
ミリカンへの弁護(In Defense of Robert Andrews Millikan)
さて、「ミリカンの油滴実験は恣意的データ操作」説に対する反論について。
In Defense of Robert Andrews Millikan
によると、ミリカンの実験ノートを精査したところ、確かに実験結果についての予断を持ったコメントが有ったものの、恣意的なデータ操作は行われて居なかったとのことです。
1913年のミリカンの論文では「60日間にわたり連続して行われた実験」であると述べられていますが、実際に実験ノートと突き合わせを行い、1912年2月13日から4月16日までの63日間のデータが使用されていることが確認できたとのことです。また、この期間に計測されたデータの幾つかが論文から除外されて居ることは確かであるものの、それらのデータを考慮に入れたとしても、論文の結論にはほぼ影響は無いとしています。
また、この63日間で誤差が少なかった原因として、気候条件が安定していたからではないかと述べられています。上で書いたとおり、油滴にかかる力として浮力や空気抵抗がありますが、これらは温度や湿度、気圧といったパラメーターの影響を受けます。なので、気候条件が不安定な場合、誤差が積み重なる可能性があり、逆に安定していれば誤差が減少すると。
しかしまあ、この反論についても鵜呑みにするのではなく検証していきたいところでは有りますが、実験ノートを解読する難易度が高すぎる・・・
実験ノートは大事だよー
何時、どんな実験を、どのように行い、どんな結果が得られたのかを改ざん困難な形で残してあれば、不正研究疑惑がかけられても弁護してくれる人は居るってことで。
実験ノートは超重要ってことを草葉の陰でミリカンさんも言ってる気がする(イタコ的に)。