『アルスラーン戦記』完走、またはエラム史観の誘惑
ネタバレを含むのでTwitterではなくこちらで。
完走に至るまでの経緯
改めて書く必要も無いとはおもいますが、『アルスラーン戦記』について。
ざっくり言うと、架空世界における中世イラン風のパルス王国(ただし、イスラム教要素なし)を舞台とした大河ファンタジー小説シリーズです。
第一部(1巻から7巻)までは、パルスの王太子であるアルスラーンが、パルス王国へ侵攻してきたルシタニア王国(史実の十字軍に相当)を撃退し、王位に就くまでの物語が語られます。そして第二部(8巻~16巻)では、太古の昔に封印された「蛇王」ザッハークの復活とそれを阻止しようとするアルスラーン王という、第一部と比較するとファンタジー色が全面に出たストーリーとなります。
小説版『アルスラーン戦記』については中学生の頃(1990年代初頭)から読み始めていて、当時の自分にとっては『アラブから見た十字軍』のような視点や、「奴隷を開放するだけでは問題は解決しない。その後の衣食住も含めた解決が必要」といった主張は眩しく思えたものです。流石に2020年時点だと後者はともかく前者のキリスト教観は雑すぎる感じはありますが、しかしながら『アルスラーン戦記』で描かれた中世キリスト教観が踏み台になることで、あとに続く中世キリスト教を扱った諸作品においてより深いキリスト教の描き方が出来たのではないかとも思います*1。
ただ、第二部に入ってからは、作者の書こうとしている物語と自分が求めている物語にかなり食い違いが出てきたというか、超自然の怪物や陰謀が大きな力を持つというストーリーなのでどうししても第一部とはノリがかなり違うのが気になって、いつしか新刊を買うのも止めてしまいました。
(あと、90年代中盤ぐらいからの田中芳樹作品は全体的になんというか「失速」していたという印象があって……)
という感じだったのですが、先日ちょっとしたきっかけで荒川弘コミック版『アルスラーン戦記』を読んでいたら、これがまた面白くて面白くて(現在、小説版の第一部中盤ぐらいまで進展してます)。
これでなんというか「アルスラーン読みたい欲求」が再点火したので小説版も1巻から読み直し、これまで読んでいなかった10巻以降もまとめ買いして読んでみたのですねという経緯。
以下、結末への言及を含むネタバレ注意。
完走して思うこと
いわゆる第一部(1巻~7巻)と比較すると微妙と言われることも多い第二部(8巻以降)も、いざ読み返してみるとかなり面白く読めたのですが、ただ終盤(15~16巻)のストーリーについてはちょっと…というかかなり厳しいなと。
「蛇王」ザッハークはパルスの前王アンドラゴラスを依代として復活。魔物の軍団と超常的な力を使ってパルス北方のチュルク王国を支配し、さらにパルス国内の反アルスラーン諸勢力をまとめ上げて首都エクバターナを包囲。*2
アルスラーンは友邦シンドゥラ王国へ王宮関係者を中心とした文民を避難させ、自身は軍を率いてエクバターナに籠城。激烈な戦闘の中で倒れていく仲間たちを踏み越え、義理の父である前王アンドラゴラスを依代とした蛇王ザッハークと直接対決するが、アルスラーンと蛇王は相打ち。
パルス王国は崩壊して群雄割拠状態となり(ついでにシンドゥラ以外の周辺国も全部同じ状態になり)、数十年後にシンドゥラ国内で命脈を保っていたエラムを指導者とした「アルスラーン派」亡命政権がパルスの奪還と再統一を開始する…というところで物語は終わります。
という流れなのですが、主要登場人物が「在庫一掃処分」ぐらいの勢いで死んでいったり、あるいは当初から張られていたはずの「アンドラゴラスの遺児」伏線が特に回収されないまま(物理的に)ばっさり切られてしまったり、「蛇王」ザッハークも天変地異を引き起こせるレベルで凄い存在なのかはたまた「凄い強い戦士」な存在なのか微妙だったり。あ、そういえばザッハークの妻候補とか封印されてた鎖で鎧を作るみたいな伏線って回収された?ギーヴの弓さえあれば実は問題の9割ぐらい解決しない?「尊師」の正体については結局何も語られないまま?ヒルメス氏はなんというかこーストーリー上都合の良いワイルドカードとして使われまくったのは良いとして(ギスカール相手の居座り強盗の場面は結構お気に入りだけど)最後の最後でアレはどうなの??ナルサスなんでそこで不自然なまでに呑気なの???なんか終盤へ向けた展開が雑すぎない????
おっとと、ステイステイ。
いやまあ、第二部終盤の展開はちょっと微妙というか強引な部分が結構あるのですが、しかしそれでも全体としてみるとそこまで悪くはなかったという印象です。第一部が傑作だったのでちょっと比較すると辛い部分がありますが、それでも全16巻を一気に完走させるだけの、ぐいぐいと読者を引き込む魅力があります。
エラム史観の誘惑
で、ここからが本題。同じく田中芳樹作品で、『アルスラーン戦記』第一部と一部重なる時期に書かれた超メジャー大河作品『銀河英雄伝説』について。『銀河英雄伝説』は『アルスラーン戦記』第一部と同様に、時代を超える大傑作であり*3、再アニメ化も現在進行中で新規ファンも増え、また今なおあれこれと「考察」が語られれる作品ですが、その考察の流派として「ユリアン・ミンツ史観」というジャンルがあって
要は、「銀河英雄伝説という物語は、ユリアン・ミンツおよびその一党の正当性を確保するため、"実際の歴史"を歪めて党派性で味付けされた、"作られた歴史"である」という視点を使うことで、作中の矛盾や疑問点を説明しようという方向の考察です。
個人的にはこの方向性は「斜めに構えて読む」事自体を目的になりがちな気がしていて*4あまり好みでは無いのですが、『アルスラーン戦記』については「斜めに構えて読む」のではなく真正面からの考察として結構成り立ちそうなのですね。
上で書いたとおり、パルス王室関係者は友邦であるシンドゥラ王国で一種の難民として、ラジェンドラ国王のはからいにより、亡命政権的な「間借り」生活を行う事になります。最終的に、シンドゥラ王国内で力をつけたパルス王国亡命政権が、「血統は無いものの、アルスラーンの行った理想の統治の正統後継者」を見つけ、その名の下にパルス王国の再統一を始めようとするところで物語は終わるのですが…
なんというかこー、一代限りで滅んでしまった(しかも国外からの侵攻に加えて、義理の父が主導した反体制勢力により倒されてしまった)アルスラーン王が、本編中で繰り返し後世の伝承として語られるような"理想の"王として語られるの、ものすごい不自然なのでは…という気持ちが抑えきれません。
これ、蛇王ザッハークとか魔物の軍団とかをさっぱり無視して
アルスラーン王の死亡とパルス王国の崩壊は、退位した義理の父による反乱と諸外国による侵攻により王位をひっくり返されたためである。しかし、パルス王国亡命政権が異国で存続する上で大義名分として"理想の"王であるアルスラーン像が必要とされたために、「蛇王ザッハークの超常的な力により理想の国であったパルス王国は崩壊してしまった」という物語が作られた。その語り手は亡命政権の指導者であるエラム。
と考えたほうが色々すっきりすると思うのですよね。
ラジェンドラ国王が本編中で繰り返し繰り返しナルサスの手のひらで転がされるあたり(でありながら、どれだけ手玉に取られても基本的に好人物として描かれ、最終的に損得ではなく義を取るあたり)の描写も、ラジェンドラ王のはからいにより存続が許されている亡命政権の鬱屈を反映したものとみなしたほうが自然な感じが。
「英雄の時代」が終わった後、亡命政権を維持するために作り上げられた物語としての、エラム史観としての『アルスラーン戦記』。個人的にはものすごく魅力的ではあるのですが、はたして。