17世紀日英コンテンツ(ただし性的な意味で)貿易始末記

江戸の英吉利熱 (講談社選書メチエ (352))」に17世紀の日本と英国との間で行われていた貿易について面白いエピソードが紹介されていたのでメモしてみる。

江戸の英吉利熱 (講談社選書メチエ (352))

江戸の英吉利熱 (講談社選書メチエ (352))

江戸時代に行われた日本と欧州との貿易というと、長崎 出島に限定されたオランダとの貿易が思い浮かびます。しかし、17世紀の初頭、まだ鎖国政策が完全に固まっていない時期にはポルトガルやイギリスとの交易も行われていました。
特にイギリスは江戸幕府が敵視していたカソリックと対立するプロテスタント系国家であり、またウィリアム・アダムス(三浦按針)が徳川幕府から高い信頼を得ていたことから、対日貿易を行うために有利な立場であり、平戸(現長崎県)に商館を作ってたりします。

イギリス商館 - Wikipedia

さて、まだ平戸のイギリス商館が開いていた頃、イギリス(東インド会社)の対日貿易責任者であるジョン・セーリス司令官が平戸へやってきます。このとき彼は長い航海の無聊を慰めるために、船長室に"非常に猥雑な"「ヴィーナスの誕生」をモチーフとした絵画を飾っていました。今で言うと、エロピンナップ貼り付けてるようなもんですな。で、それを船を訪れた日本人に見せびらかしたっぽい(この変態紳士が!)。どうもそのときの日本人の食いつき具合が良かったのかどうなのか、彼は東インド会社へある提案をします。


「猥雑な絵を何点か、そして地上と海上の戦いの場面を描いた絵を何点か送るべきだ。サイズは大きければ大きいほど良い」

つまりは

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        | アパム!アパム!エロ!虹エロ持ってこい!アパーーーム!  
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                       / ̄ ̄ \ タマナシ  
       /\     _. /  ̄ ̄\  |_____.|     / ̄\  
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ってことですな。しかし、エロとバイオレンスってのは現代のコンテンツ業界の王道でもある訳で、セーリスさんは中々やり手と言えなくもない(単なる変態紳士な気もするけど)。
一方、当時の東インド会社は日本でイギリスの主力製品である毛織物製品が売れず、対日貿易に行き詰まってました。そのせいなのかどうなのか、この提案をマトモに取り上げ、セーリスのもとへ以下の絵画を送付します。

  • 『ヴィーナスとアドニス』
  • 『二人のサチュロス』
  • 『ヴィーナスとキューピッド』
  • 『ヴィーナス、バッカスとセレス』(これだけコメントが付いてて「非常に写術的」だそうな)
  • 『ヴィーナスへの献上』

ちなみにこのへんのギリシャ・ローマ神話を題材としたエロコンテンツ(こうした絵画は「エロティカ」と呼ばれていた)は、当時は

「これはエロでは無い!芸術である!」

ということでイギリスの上流階級社会的にOKだったらしい。そういや「猥雑か芸術か」ってのは一頃の日本でも問題になったな。そして、結構な値段を付けられたこれらの絵画は、イギリスの対日貿易物品としては珍しく完売。「江戸の英吉利熱」ではこれを評して曰く

船室にエロティカを飾っていたイギリス人司令官はセーリスだけでは無かったはずだが、海外にエロティカの市場があると声高らかに訴えたのは彼一人であろう。こうしてセーリスは日本にエロティカを輸出するきっかけを作ったのだ。しかも売れた。地理的にも非常に遠く、全く違った文化での初めてのマーケティングが成功したのだから、こうした絵画の販売についていえば、セーリスは会社の誇るべき営業マンである。

ところが、そこでメデタシメデタシと行かないのが世の常。エロコンテンツ貿易に賭けて成功したセーリスさんは、日本からとんでも無いものを持ち帰ります。それは「枕絵」。私物の荷物としてロンドンへ持ち帰り、周囲の人達に見せびらかしてたらしいです。

あーいや「枕絵」っていっても二次元キャラの枕カバー絵って訳ではなく、いわゆる「春画」です。「エロティカ」と違ってド直球なエロコンテンツ。しかもエロティカの場合、「アレは神話だから恥ずかしくないもん!」と主張できるけど、春画の場合はもう弁解の余地がない直球描写が色々あって大スキャンダルになります。どんだけスキャンダルかというと、英語版WikipediaのJohn Sarisの項

Saris essentially fell in disgrace upon his return to England when he showed around a collection of erotic Japanese paintings (shunga) he had gathered during his stay in Japan.

(セーリスは英国への帰還後に、日本滞在中に収集したエロティックな日本の絵画(春画)を周囲へ見せたことで、どうしようもない不興を買った)
と書かれるぐらいスキャンダル。当時大事件だったらしい。今で言ったら、やり手の商社マン重役とか公団幹部とかがファイル共有ソフトでエロコンテンツをうpし放題とかそんな感じかと。しかし、エロ画像見せびらかしたことが400年後になお言及されるってのも色々と凄い話ではある。

結局、セーリスの春画コレクションは会社命令により全て焼却処分となり、このときに日本から持ち帰られた初期の枕絵・春画群は全て消滅してしまいました(ちなみに、17世紀初期の春画は日本でも残っているものは少ないとのこと)。
一方、セーリスが日本へ売った「エロティカ」の数々も、現在は行方不明とのこと。


その後、1620年に三浦按針が死去し、幕府の鎖国政策が強化され、さらにイギリス人が持ち込んでいた主力製品(毛織物)が売れないという状態となり、平戸のイギリス商館は結局わずか10年と少しの期間で閉鎖されてしまいます。


しかし、もうちょっとセーリスさんがもうちょっと上手く虹画像を配布していれば(たとえば上流階級へ裏で販売して社会的な根回ししておくとか)、17世紀以降も日英を結ぶ(エロ)コンテンツ貿易が成立していたかも知れません。そうなればヨーロッパ絵画への影響も史実より早く出ていたでしょうし、日本側としてもイギリスとの国交が細々とではあれ続いていたとしたら、幕末の展開もまた違うものに成っていたかもしれません。


まあ、毛織物製品が売れなければ結局商売として存続は難しく、史実の流れは変わらない気もしますが、しかしそれを言うなら出島のオランダ商館も基本は赤字経営(商館関係者は脇荷貿易で儲かっていたので貿易は継続。あと当時の銅は国家的戦略物資とされていたらしく、多少赤字でも日本から入手したいという思惑も有ったとどこかで読んだ覚えあり)だったらしいんでなんとも言えず。

まあ、エロコンテンツが歴史を変えたかもしれない可能性を妄想するのも楽しいもんです。おわり。