池田徳眞「プロパガンダ戦史」感想

プロパガンダ戦史 (1981年) (中公新書)

プロパガンダ戦史 (1981年) (中公新書)

著者は第二次大戦中、対米プロパガンダ放送「日の丸アワー」にも関わった経験を持つ方です。この本の特徴は、戦時プロパガンダ放送の実務者の視点から、第一次〜第二次大戦における各国のプロパガンダについての分析・評価を行なっているという点です。
ここで注意して欲しいのが、「プロパガンダ」と一言で言っても、実際には国内向けプロパガンダと敵国向けプロパガンダで手法が大きく異なることです。

対敵プロパガンダの世界

国内向けプロパガンダというのはある意味簡単で、国内メディアを総動員して戦争の大義やら正義やら団結やら郷土愛やらを煽り、一方で敵国への軽蔑や憎悪を植えつければそれで住みます。
問題は交戦相手国へのプロパガンダ(対敵プロパガンダ)です。まず使用できるメディアは限られます。当時は個人が海外からの放送を直接傍受しようとするとラジオぐらいしか選択肢がありません。つまり、(敵国の放送を聞いている=逮捕フラグという危険を犯してまで)周波数をあわせてもらうところからはじめなければなりません。あとはピラやパンフレット、新聞などを撒くという方法もありますが、こちらも手にとって読んでもらえるチャンスが低いのは共通しています。
更にもっと根本的な問題として、交戦相手国の宣伝放送なんて、受け手はまず信用して無いということです。
対敵プロパガンダとは、基本的にはこういう無理ゲーな世界です。こんな分野に注力しても、それに見合う効果が得られそうにありませんし、普通だったらあまり力を入れずに保険として実行する程度に留めると思います。

イギリス最強伝説

ところが、著者の分析によると第一次大戦・第二次大戦主要参加国の中でただ一国だけ、真に対敵プロパガンダの真髄を理解し、積極的な手段として位置づけていた国がありました・・・・・イギリスです。


著者による第一次・第二次大戦における対敵プロパガンダについての分析を、結論だけ(乱暴にですが)一言で要約してしまうと。

「イギリス最強。他の国(米・仏・独・ソ)は五十歩百歩」

という身も蓋もない感じです。


ここまで評価されるイギリスによるプロパガンダの特徴として、繰り返し「戦時の異常心理を沈静化させ、相手に考えさせる」ことが挙げられています。
たとえば第二次大戦での例として、ビルマ方面で英軍により配られた宣伝リーフレットが挙げられています。以下引用。

(宣伝リーフレットについて)感心した点を列挙してみると、次のようである。

  1. 結論を決して言わず、相手に結論を考えさせるという原理を忠実に守っている。
  2. 「降伏しろ」とは言わない。戦死した人と降服した人との写真を裏表で見せただけである。
  3. 「(英軍による対日宣伝)日本語放送を聞け」とは書いていない。ただ、日本語放送がこれだけあると表を示しただけである。
  4. 「上官のいうことが嘘で、この新聞のことがほんとうだ」とはいわない。「そうかもしれない」と言っただけである。
  5. 「日本は負ける」とはいわない。「最近は大変押され気味で、調子が悪いですね」といっただけである。

(中略)
彼らは、「宣伝とは、他人に影響をあたえるように物事を陳述すること」というクルーハウス(第一次大戦中のプロパガンダ機関)の定義をそのまま実行しているのである。

(括弧部分は引用者による)

一方、ドイツについては「対敵宣伝を全く理解していない」としてかなり否定的です。第二次大戦での、巧みにBBC放送を皮肉る「ホーホー卿」放送についてだけは評価しているものの、その内容について下記のように評価しています。

彼(ホーホー卿)はイギリスに向かって「みなさんは沈みつつある船に載っている。皆さんの立場は絶望である」と放送したそうである。
これは、宣伝理論上、まことに愚かなことである。
ドイツ人は、イギリス人にそう思わせたいのである。それゆえ、どういったらイギリス人はそう思うかというふうに宣伝者の頭は働かなくてはならないはずである。敵に思わせたいことを自分でいってしまうのでは、宣伝者としては落第である。

(斜体部分は引用者による)

上記の感想はあくまで放送初期のもので、その後は改善されているということですが、それでもなおドイツのプロパガンダ放送が第一次大戦の頃から引きずる欠点が表れていると著者は指摘しています。

あと、交戦中の対敵プロパガンダとはまた別に、第二次大戦後のナショナルイメージを扱った部分も興味深いです。この辺については、日本は本書が書かれた昭和56年とは比較に成らないほど上手いこと立ち回っているとは思います(まあ、国家戦略と言うよりもイメージ・文化輸出と高度成長期以降の日本外交が偶然かみ合った結果な気がしますが)。

プロパガンダ手法を現実に活かそう

と書くとどうにも物騒な雰囲気ですが、基本的には

  • 結論を押し付けない
  • 相手に自主的に考えさせる(と思わせつつ自分に都合の良くなるように上手いこと誘導する)

というのはプロパガンダに限らず、日常の議論やら説得やら商談やらにも通じることです。

また、ネットでも最近だとTPP加盟問題や原発事故に絡むサイエンスコミュニケーションのあり方について、2つの立場に別れた熱い議論(場合によっては罵り合い)が発生しています。
こういう場で、自分とは違う立場に立つ相手に対して自分の持つ結論を押し付ける、あるいは自分と違う立場に立っていることをあざ笑うようなドイツ的な言行は、おそらくプロパガンダと同様に「説得」という点から見ると下策です(ストレス発散には役に立つでしょうが)。
イギリス的に、相手が持っている意見を上手いこと考えなおさせる方向に持っていったほうが色々と捗ると思いますがどうでしょう。

追記

今見たらamazonでやたらと高値が付いてるな・・・・。5〜6年前にはせいぜい800円ぐらいだった記憶があるんですが。いや高騰してる価格に見合う面白い本だとは思いますが、どっかで言及されてるのかな。