大学学生自治会の思ひ出(「なぜ日本では「市民運動」が格好ワルイいのか?」問題)

Life is beautiful: なぜ日本では「市民運動」が格好ワルイいのか? Life is beautiful: なぜ日本では「市民運動」が格好ワルイいのか?

上のエントリに関連して思い出を語ってみます。大学の学生自治会は狭義の「市民運動」にはあてはまらないとは思いますが、たぶん問題の根っこの部分は同じだと思うので。

今はどうなっているか知りませんが、10年ぐらい前には、母校(某国立大)の学生自治会ってこんなノリの組織でした

  • 校舎の窓に独自のフォントで「日帝・米帝打倒!」「産学共同体粉砕!」「革マル殲滅!」とか煽り文句を貼りまくる
  • 授業中に上と同じノリのアジビラ配布(配布要員の人と議論して授業時間を30分ぐらい潰したのも今ではいい思い出です。)
  • 昼休みには大学生協の前でアジ演説
  • 右も左もわからない新入生から「自治会費」を徴収。(大学側から「自治会費とか強制じゃ無いから」と注意が出るレベル)
  • 学生寮の飲み会で新入生をオルグする。(サークルの後輩が寮に入って「辟易するけど取り敢えず調子を合わせとかないと寮居れないし・・・」と困ってた)

・・・・信じられるかい、安保運動真っ盛りな60年代じゃなくて90年代も後半の話なんだぜコレ。

もちろん、大学での学生自治組織というのは必要なモノで、例えば90年代に国立大の授業料がウナギ登り(リンク先はpdf)だった件とか、学生が組織的に反対すべき話だったと思います。ただ、既存の学生自治会がそもそも上のようなノリで自分は極力関わり合いになりたくなかったし、関わったとしても授業料問題は放っておいて打倒米帝アジビラ撒き要員にされたことでしょう。(「じゃあお前が旗振り役になって何とかしろよ」という突っ込みは有るかと思いますが、個人としては授業料免除申請で何とか成ってしまったので)

「格好ワルイ」ではなく「抱合せセット」が問題では?

上は極端な例ではありますが、学生自治に限らず、この手の運動や活動の問題は「お上にたてつく」とか「左翼だからカッコ悪い」ということではなく、(しばしば先鋭化した)「政治思想」が「抱き合わせセット」でついてくる事では無いかと。だから特定の政治性を持たない人たちから目をそらされてしまう。
例えば原発問題でいうと、仮に工学的な見地から反原発運動に参加したとしても、(外部からのいわゆる「宣伝工作」の結果ではなく)運動の内部から否応無く左翼的な政治性を持たされてしまうような力学が有ると思います。
この点については労働組合もそうだし、平和運動もそう。結果として、米国の核実験へは抗議するけれど社会主義国の核実験へは抗議しない反核平和団体(例えば「原水禁運動の歩み」 を「社会主義国」でページ内検索)のような歪が出てしまう。

これは左だからという話ではなく、右についても最近だと下記の例。

お台場騒然、「韓流やめろ」コール フジ批判デモに多数参加 : J-CASTニュース

茂木健一郎がフジテレビ批判を人種差別問題とすり替えて世界に訴えた事により日本が世界から集中砲火:ハムスター速報 茂木健一郎がフジテレビ批判を人種差別問題とすり替えて世界に訴えた事により日本が世界から集中砲火:ハムスター速報

おそらくこの件についてフジテレビを批判した人や抗議デモ参加者には

  1. マスコミが人為的にブームを作ることに苛立ちを持つ層
  2. 韓国コンテンツが放送されることに苛立ちを持つ層(マスコミ視点からすると、いわゆる「ネトウヨ」層)
  3. 1かつ2の層

が居ると思うのですが、デモの映像を見ると日の丸を全面に押し出し、最後は国歌斉唱で解散という2の主張が前面に押し出された形となっています。まあ、2や3の層にとっては問題ないのですが、1の層にとっては「抱き合わせセット」被害でしょう。
この件については下手に抱き合わせセットにしなければ既存マスコミへのダメージはよほど大きかったんだろうなあ・・・と思いますが。今後、人為的ブームに対して同様の抗議運動が有ったとしても「はいはいネトウヨネトウヨ」と矮小化されてしまう可能性は結構高いと思います。
労組のメーデーデモが一種の風物詩として華麗にスルーされてしまうのと同様に。あるいは福島原発事故以前の反原発運動がスルーされていたのと同様に。

「抱き合わせセット」をめぐるすれ違い(この項追記)

とは言え、運動の主催者にとっては運動の目的と政治思想は分割不可能なものであり、「抱き合わせセット」といわれることは心外かもしれません。
母校の学生自治が上で書いたような状況だったのは明らかに安保闘争が原因でしょうし、労組は国家からガチで弾圧されていた歴史がある以上は左派的色合いが強いのは当然。原水爆反対運動と(旧)社会党共産党とのつながりが強いのも、そもそも自民党政権が米国の傘の下での日本の繁栄を選択したことが原因。反原発運動で左翼色が強いのも、原発が半「国策」として推進されたことが原因。マスコミ不信と嫌韓も、2chという場でここ10年間かかって共に育ってきた思想です。

ただ、そういうコンテキストを共有していない、あるいはコンテキスト抜きで運動に関わりたい外部から見ると、ある問題に対して全く別の政治思想を持ち込んでいるようにしか見えないわけで。結局のところコンテキストを共有できる人しか運動に参加できないという状況に成っているかと。

市民運動2.0

今時"2.0"とか許されるのは小学生までだよねー。という煽りはともかく、ある特定の社会的問題に対して、政治的思想の「抱き合わせセット」が無い大規模市民運動って成り立たないものかな。

追記

トラックバック送信に失敗。数回試みたものの失敗してるので、もうこのままで良いや。