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日米教育比較@昭和初期

雑記

中々書く機会が無いうちに時間が経ってしまった。まあいいや。

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海軍参謀

海軍参謀

で取り上げられていた海軍士官の教育に関するエピソードを思い出したので取り上げてみる。
以下引用

まず、兵学校では、生徒にモノを考えさせなかった。意見を持たせない。
「私はこう考える」「私はこう思う」
とはいわせず、教官から教えられたことを、理解し、それを最良のものとして、マル呑みこみに記憶させる。疑うことを許さない。
自分で、自主自律的に考えさせることを、初めて教えたのが、海軍大学校だった。
「状況判断」がそれだ。

(略)

昭和六、七年頃、アメリカ駐在を命じられた横山一郎少佐は、たまたまニューヘイブンで小学校の授業を参観し、一年生の教室に入って、目を見張った。修身の時間だった。
「お母さんから、あなたは御用をいいつかりました。この手紙を、ポストにいれてきてちょうだい。あと暫くで郵便屋さんが集めに来るから、走らなくていいけど、なるたけ急いでねって。−あなたはいい子だから、お母さんのいいつけを、よく守りました。走らなかったけど、ポストへ急ぎました。その途中です。あなたより、もっと小さな子どもが、道で転んで、足に怪我をして泣いていました。あなたはどうしますか。子供を助けますか。それとも手紙を出すのを急ぎますか。ハイ、ジョージ君」
一人一人、男の子や女の子に質問する。子供たちは懸命に考え、懸命に答える。いわゆる原案−模範解答・正解があるのではない。いろんな答えが出る。しかしそれを、一つの答えに絞ろうとするのではない。考える過程に注目して、順を追った、合理的な考え方をするよう、チェックし、導いていた。
横山少佐は、息をのんだ。
「小学校一年のころから、状況判断と判決処置を考えさせるアメリカは、恐ろしい国だ」

戦前の海軍兵学校というと、今の東大よか上な感じの超スーパーエリート校(倍率についてはこちらを参照(MIDI注意)。軽く30倍とか平気)。そして海軍大学校とは、兵学校を卒業した士官のうち、さらに選りすぐりのエリート(士官全体の16%程度)しか入学を許されない超々スーパーエリート養成機関。
なのに、自主的な状況判断や、ディベートの訓練や、答えの無い問題に直面した時の思考法という方向性ではアメリカの小学校と比較されちゃうんだから参るね。もちろん、スーパーエリート教育といってもあくまで軍人として枠にはめる為の教育なので、世間一般の教育と比較すると硬直的に成るだろうから、割引いて考える必要はあるけど。