「戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった」・・・の?

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戦間期明治~大正期には軍でのいじめや体罰、私的制裁は厳しく取り締まられていたが、日中戦争以降で著しく悪化した・・・という主張が描かれています。

実際問題、戦間期の兵営での体罰ってどんな感じだったんでしょうか。この手の話は中々表に出て来ないので難しいんですが、こういう面白い本が有りまして

明治・大正・昭和 軍隊マニュアル (光文社新書)

明治・大正・昭和 軍隊マニュアル (光文社新書)

入営者の心得、出征兵士への送辞例…マニュアルに見る当時の真の戦争観

明治期から太平洋戦争期にかけて、軍隊にまつわる「決まり文句」の数々を収録した軍隊「マニュアル」とも呼ぶべき本が多数出版された。これらは、出征する兵士が住んでいる村の幹部たちが行った激励の演説、それに応えて彼ら入営者が行う挨拶などを収録したもので、当時の書店でふつうに売られていた。
この軍隊「マニュアル」を読むと、軍隊という巨大な存在に対する当時の人々の迷いや不安、反抗心といった心のひだが透けて見える。本書は、徴兵・戦争という巨大な経験に、近代の人々がどう向かい合ってきたのかを、建前と本音の両面から、ひとつの通史として描く試みである。

戦前には、今で言う「就活マニュアル」とか「フレッシュマン応援マニュアル」とかそういうノリで、出征の辞から入営生活の実態、家族へ出す手紙のテンプレ、さらには退役後のアレコレまで紹介するような「入営者マニュアル」としか形容しようがない出版物が存在していました。で、そういう「マニュアル」の記述から軍が入営兵士に何を求めていたのか、あるいは兵士が「兵役にとられること」に対して何を感じていたのか・・・という部分をあぶり出すという本。
さて、私的制裁あるいは体罰に言及されている「マニュアル」がいくつか紹介されていますが、明治41年(1908年)に出版された匿名の作者による『兵営の告白』で描かれる体罰の風景

兵を整頓棚の下に突き付けて、体を三十度の角度に捧げ銃、その上私物箱の蓋を両足の間に挟まして身動きもならぬ厳罰、次第に弱る両手の力、幾度か取り放たんとしては一喝、雪降る厳冬の夜でも滴る汗、珠なす油、殆ど襯衣を通じて絨衣を湿らす位だ、打つ、踏む、蹴る、素より痛い、然れども此の厳罰 - 棚下の捧銃、おそらく他人には想像できぬ

また、明治42年(1909年)出版の作者不詳『兵営生活』にも新兵同士を殴り合わせるという指導っつーか体罰が描かれています。

また、正確な時期は不明ですが日露戦争後~大正期に描かれた兵士体験記からの引用として

人はよくビンタビンタと恐ろしく騒ぐが、それを頂戴するもせざるも、自分の努めると努めざるとによるのだ

という文章も・・・・念のため強調しますが、これらは明治~大正期の話であって日中戦争以降の話では無いです。では、こういう状況を士官以上では問題視していなかったのでしょうか?大正2年(1913年)陸軍歩兵大尉三澤活水『入営者準備教育』によると

軍隊において新入兵が、古参者に虐待さるるというのは、多くは自ら其因を造るのである、其原因は何であるかといえば、怠けることと、目先のしれた嘘を吐くのである、虐待というても、『何に此野郎』、位で横面の一つも打たるる位のものであるが・・・

ああ、士官クラスでも"横面の一つも打たるる位のもの"の有効性を積極的に認めてますね。それにしてもこの書き方はなんか凄い自己責任論なデジャブを感じる。

まあ日中戦争以降で軍規は弛緩したし体罰や私的制裁も悪化したのはたしかでしょう。また、上で紹介した士官の方も極一部のエクストリームな体罰容認派だったのかもしれません。しかし、こういうマニュアルや体験手記でおおっぴらに描かれても特に社会問題にならない程度には、戦間期でも兵営内でのいじめや体罰、私的制裁が当たり前な事だったと考えるのが自然では無いでしょうか。