読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

冨田 浩司「危機の指導者チャーチル」感想

読書

危機の指導者チャーチル (新潮選書)

危機の指導者チャーチル (新潮選書)

ヒットラーの攻勢の前に、絶体絶命の危機に陥った斜陽の老大国イギリス。その時、彼らが指導者に選んだのは、孤高の老政治家チャーチルだった。なぜ国民はチャーチルを支持したのか。なぜチャーチルは危機に打ち克つことができたのか。波乱万丈の生涯を鮮やかな筆致で追いながら、リーダーシップの本質に鋭く迫る。今こそ日本人が学ぶべき“危機の指導者論”。

近代民主主義制度の政治家としては規格外の"英雄的"政治家であるチャーチルについて。

アレクサンダー大王やシーザー、ナポレオンといった世界史の英雄たちは、基本的には専制君主です。近代民主政の政治家たちは(暗殺されたリンカーンのように死後英雄視されるパターンは有るものの)大抵は専制君主たちのような英雄的行動とは無縁です。代議制民主主義の政治家っていうのは基本的には利害の調整役であり、そのような行動を取る必要もありません。
ところがチャーチルはかなり例外的。どれだけ例外的かというと、「ルーズベルトが大統領でなくとも米国は第二次大戦に勝利したであろうが、チャーチルが首相でなければ英国は戦い続けることが出来なかったであろう」と評されるぐらい(出典は忘れた)。


彼がいかにイギリス人の心を掴んでいたかについて述べた、1903年生まれで第二次大戦を壮年期に経験したジョージ・オーウェルチャーチル評を引用してみます。

イギリス国民はおおむねチャーチルの政策を否定してきたが、チャーチル自身には常に敬意を持っていた。それは彼の生涯の大半を通じて語られてきた、彼に関するいろいろの逸話の調子からもわかるとおりである。これらの逸話は、多くの場合おそらく根拠の怪しいものであったし、また印刷をはばかるものもあったが、流布しているという事実が重要なのである。たとえば、ダンケルク撤退の際、チャーチルはよく引用されるあの戦闘演説を行なっているが、放送するためにその演説を録音したとき、実際にはこういったというのである。「我々は戦うのだ、海岸でも市街でも。・・・・・・・我々はあのくそったれどもに空き瓶を投げつけるのだ、我々に残されているのは瓶ぐらいのものだ」---しかしBBCの検閲官がタイミングよくスイッチをおしてその箇所(「我々はあのくそったれども」いか)を削除したことは言うまでもない。これは実話ではないと思われるかもしれないが、当時は、これでこそチャーチル、と受け取られていた。これは一般民衆がタフでユーモラスな老人に捧げた一つの格好の賛辞だった。民衆はこの老人を平時の指導者としては認めないだろうが、災厄の際には自分たちの代表者だと感じていたのだから。

オーウェル評論集 2 水晶の精神

オーウェル評論集 2 水晶の精神

 収録『書評 - ウインストン・チャーチル著「最良の時」』より


オーウェルはガチな社会主義者であり(関係無いけど、「1984年」だけ読んでガチ右なひとだと誤解してる人が結構多いような)、当時のチャーチルが掲げていた政策とは真っ向対立していました。また、スペイン内戦で従軍してプロパガンダの無意味さに絶望したり、かつ自身も第二次大戦中はプロパガンダ放送に従事したりしています。
こういう、チャーチルとは政治的に異なる意見を持ちプロパガンダの表も裏も知り尽くした経歴をもっている人が、それでもなお災厄の際にイギリス国民を一つにまとめあげたチャーチルを絶賛しているということからも、同時代のイギリス国民によるチャーチルに対する評価の高さが実感できます。

さて話を戻すと、「危機の指導者チャーチル」は、チャーチルの生い立ちから第二次大戦期に首相となるまで、そしてその死後の評価についてまとめた本です。

以下、気になった点のメモ。

ボーア戦争での従軍記者時代

チャーチルボーア戦争では従軍記者として鳴らし、特に捕虜になりながら捕虜収容所から脱走をかまして手記を書き、それが大人気となったことが政界入りのきっかけとなりました。
ただ、脱走に至る経緯は結構無茶で

以上要するに、チャーチルが数日間自重していれば、非戦闘員として釈放された可能性があったわけで、そうなれば彼のその後の人生は違った経路をたどっていたはずである。

という・・・まあでもチャーチルが自重できるはずが無いよな。

父親のランドルフチャーチルについての人物評

不幸なことに、彼には政治家に必要な政策立案能力や調整能力といった資質が備わっていなかったため、その活動は「一人芸」「瞬間芸」のまま終わってしまった。

鳩的なひとだったんだな。

1908年、自由党政権での商務長官としての働き

当時の商務長官は産業・労働政策の責任大臣だったということで、

任期中のチャーチルの業績には、失業保険の創設、職業紹介所の解説、「スウェット・トレード」と呼ばれる低賃金事業所における法定最低賃金の導入などが含まれ、彼を英国における福祉制度の創設者の一人と位置づける見方には十分な根拠がある。

その後、色々とゴタゴタの末に第一次大戦後には自由党から保守党へと鞍替えし、政治姿勢もガチガチの右になるものの、若手時代は結構左派寄りだった模様。

と、ここで思い浮かぶのはチャーチルが言ったとされる格言「20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない」だけれど、どうもこれは本人の言葉では無いらしい。

[Misc]チャーチルの言葉 - mobanama69号 [Misc]チャーチルの言葉 - mobanama69号

とは言え、チャーチルの政治姿勢の変遷を見ると「事実」では無いにせよ「チャーチルの格言」として流布されるに相応しいと思う。

妻クレメンティーンについて

家庭内での書き置きや往復書簡が大量に残っており

多くの手紙の末尾には、お互いの愛称にちなんでチャーチルの手紙にはパグ犬の、クレメンティーンの手紙には猫の絵が書き添えられていて、お互いを愛おしく思う思いが滲み出ている。

と、私生活上は円満夫婦、政治生活上もチャーチルに対して厳しい意見をズバズバ言える助言者として重要な役割を果たし続けたとのこと。

繰り返しになるが、クレメンティーンの生涯のほとんどすべてはチャーチルのためにあった。彼の国葬が終わった後、彼女はメアリー(引用注、娘)に、「あれはお葬式とは言わないわ。凱旋式よ」と述べたという。

いろんな意味で女傑。

参謀総長アラン・ブルックのチャーチル

(イギリス国民は)彼がどれだけ公共の脅威となり、現在でもそうあり続けているか全くわかっていないということだ。(中略)彼なしには、イングランドは確かに失われていたであろう。しかし、彼のお陰でイングランドは大惨禍の瀬戸際に何度も立たされたのだ。
(1944年9月10日付、参謀総長アラン・ブルック陸軍大将の日記抜粋)

戦争指導者としては偉大でも、軍事戦略に手をだされるとそりゃ専門家から見たらもう・・・・。でも戦争指導者としては偉大なことは認めざるを得ないというジレンマ。コレがツンデレって奴なのか?

融和政策の評価

今となっては「悪い政策の見本」として見なされてしまっている融和政策ではあるけれど、

長年のビジネス経験を経て、政界に入ったチェンバレンは、国際関係を市場に見立てて、相手は誰であれ、価格さえ折り合えば取引は成立すると本気で信じていた。

言い換えると合理性で割り切れるモノとして国際関係を捉えていたチェンバレンと、理屈よりも「ドイツ打つべし」が前提で動いてたチャーチルとは見てる世界が違っていたと。でもって、ヒトラーはそもそも公平な取引なんか考えてなかった。ただ、たしかにコレ(「話せば分かる」思想)は当時の知識人層からみたら、チェンバレン支持が多くなるよなーと思わざるえない。

対独講和(1940)の可能性

ダンケルク撤退直後、イギリス陸軍が重装備のほとんどを失った時期、ハリファックス外相を中心に、イタリアを介した対独講和をめぐる動きが有ったらしいとのこと。
英国が地中海に持つ権益(ジブラルタル・クレタ・マルタあたり)をネタに取引を行うという理性的な(その時点ではイギリス陸軍は戦闘力をほとんど失っている)ハリファックスに対し、チャーチルは「理屈じゃないよ!理屈抜きで勝利へ努力すべきだよ!諦めたらそこで試合終了だよ!」という感じ。当時の状況を理性的に考えればハリファックスは圧倒的に正しかったものの、結果的にはチャーチルの「非利の理」が大正解だったと。

英国を取り巻く状況は、明らかに勝利に向けた国民的団結を求めていた。そしてこうした団結を達成するためのリーダーシップは、勝利という目的実現のため妥協を許さない指導者以外からは期待できなかった。勝利を勝ち取るためには「非理」も辞さない勇気と決意、ハリファックスはそうした資質を欠いていた。

ただまあ、当時はまだチャーチルが首相としての政権基盤を確立していたわけではなく政権交代が発生する可能性は低くなかったと。

その場合、新指導者は、ハリファックス同様、国家の生存を確保するための「理性的」判断としてドイツとの講和を模索した可能性がある。

この辺の動きについては2015年ぐらいに機密文書が開示される可能性があるということで楽しみ。

政治家のお仕事

チャーチルの政敵であるアナイアリン・ベヴァンが、チャーチル死去の際に以下の様な追悼文を書いています。

(追悼文の中で)ベヴァンは、チャーチルを「歴史の興行師」と呼ぶ。そして、「チャーチル最大の貢献は人々に現実を直視しないよう説得したことにある。この国の人々がダンケルクの冷徹な現実によって意気消沈しているときに、彼はエリザベス女王とアルマダの戦いを考えるよう説得したのだ。彼の貢献は、五台の戦車の上に英国旗を覆いかけ、国民に対してそれが十五台であるかのように振る舞うように仕向けたことである」と述べているのであるが、本質をついた指摘といえよう。

追悼文でよくここまで書けるなーと呆れるぐらい辛口な内容ですが、国民に対して自らの信念を示し、義務を果たすよう説得する(あるいは煽る、乗せる)ってのは政治家にしかやれない仕事なのは確かです。そういう説得を放棄して、先に成文法変えてしまおうぜってノリの政治家は政治家以前に政治官僚でしか無いよなーと、改憲絡みの動きを見て思ったり。