「安全厨」という言葉

厄介な状況なんでメモ。

福島第1原発事故にからんで、今のところ2ch(とまとめサイト)が中心だが「安全厨」なる言葉が出てきている模様。

Google検索結果「安全厨」(3/20 12:30現在)

"XX厨"って言葉は、自分の心情に反する意見に対して二分法的に線引きを行い、そのような意見を見下すことで相対的な優位感を得るための言葉だと思ってる。過去の「購入厨」・「割れ厨」のDisり合いとか、「嫌儲厨」バッシングとかを見ても、何らかの不具合を抱える現行のシステムをより良いものへ変える為の言葉ではなく、相対的な優位感を得るためのバッシングを行う旗印としてしか機能してない。
あるいは、オーウェルの言う「ナショナリズム」(いわゆる「国家主義」の事ではなく、「無暴力平和主義」とかも含む。理屈抜きで「自分の属する党派や思想は正しい」という思考停止)に近いものと言っていいかも。
まあ、そういう考え方をしないと精神的な安定感を得られない人も一定数居そうだし、二分法的な線引きによるフレーム合戦が楽しい人もいるだろう。
問題は、一旦線引きを行ってしまうと、その枠組みに思考が囚われてしまいがちな点。まあ、平時のフレーム合戦とかだったらまだ実害は無いが、「安全厨」という言葉にとらわれすぎてしまうと、どんなデータを見ても、真偽や信頼性より先に"安全厨を利するデータかどうか"で信用するかどうかを決定するようになってしまう。
そうなってしまうとアレだ、都内のスーパーで買い占めやってる情弱(これも思考停止キーワードではあるけど、「安全厨」とか言ってる人々にとっては無条件で蔑視の対象になりそうなので敢えて使用)のような、情報に踊らされてしまう人々と同じだ。

一方で、危険を示すデータであっても信頼できればそれは直視すべきであり、「危険厨」的な思考停止キーワードにすがってはいけないことも自戒としてメモ。

とりあえず現状では、自分の現住所(埼玉南部)はリスクフリーではないものの、パニクるようなリスクは無いと判断。