航空テクノロジーの戦い−「海軍空技廠」技術者とその周辺の人々の物語

まあ、一言で要約すると「プロジェクトX @戦時中」な内容。
急速に悪化する戦況・不足する資材・基礎技術面での海外との圧倒的格差といった悪条件の中で苦闘する技術者についてインタビューを交えて丹念に綴っているノンフィクション。もちろん戦時中だけで終わらず、それらの技術的ブレイクスルーが、戦後の高度経済成長を支えていったところまでフォローしている。

「空技廠(海軍航空技術廠)」というとマニアの間では必ずしも評判の良くない組織(当時の日本の技術レベルを超えたトリッキーな設計で、試作機の性能は良いが量産でトラブルが多発するパターンに陥りやすい)で、叩かれることも多いものの、本書ではその辺の批判は余り取り上げられていない。あくまで”技術者の苦闘”がメイン。
それにしても、当時の技術者(特に素材分野)は命がけ。

(防弾燃料タンク用の)スポンジゴムは、その後も引き続き研究が続けられたが、そのうち研究室に妙な現象が出始めた。作業員数名が皮膚にかぶれを起こし、上島自身も顔に黒い斑点ができ、支廠の航空医学部に通ったところ、原因はスポンジゴムの発泡剤に使われたジアゾアミノベンゾール(DAB)による皮膚炎であることが分かった。
(中略)
戦後、発がん性物質であることが分かってからDABは使用禁止になっているが、(後略)

とか

弗化水素の蒸気は毒性が強い。皮膚がかぶれないようゴム手袋をはめること、蒸気を吸うと歯をやられるので防毒マスクを着けることなどを決めたが、面倒がって誰もそれをやろうとしない

フッ化水素(HF)のヤバさについてもっと自覚しようよ・・・とか。


現在から見ると考えられない、正に命がけの技術開発な訳で・・・と書こうとしたが、良く考えないでも例えば分子生物学系の研究室でのエチジウムブロマイド(強発がん性)やアクリルアミド(神経毒)の結構無造作な扱いは、多分上で引用したような状況と本質的に変わってない気がする。(さすがに扱うときにはゴム手袋はするものの、手袋は再利用が基本だったしなあ)