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『この世界の片隅に』を観たときの頭の抽き出し整理

konosekai.jp

とりあえず、ここでは映画のレビューとか感想は書きません。
なんというかこー

と言う感じで、感想を書いて一区切り置いてしまうのがあまりに勿体ない。

ということで、感想の代わりに映画を見てたとき「そういえばあの本にこういう事を書いてたよな」と思っていたことについて、さらっと再読したメモ。目的としては「頭の抽き出し整理」というか、あの映画を受け止めたときの自分の手持ちカードを晒す的な。



「月給百円」のサラリーマン―戦前日本の「平和」な生活 (講談社現代新書)

「月給百円」のサラリーマン―戦前日本の「平和」な生活 (講談社現代新書)

冒頭の、昭和8年の広島の場面で思い出してたのがこの本。
昭和一桁時代の物価は大体今の二千分の一ぐらい(当時の1円 = 現在の2,000円)。都市部の中流層が「そこそこ暮らしていける」ぐらいの目安になる月収が大体100円程度。
ただし、中流層と言っても人口比でいうと10%ぐらいの少数派で、貧困層は子供を身売りすることも当たり前という状態(この辺は映画版で大幅カットされたエピソードの背景)。
日中戦争が始まってからはインフレが進み(そして、公定価格は抑えられたものの統計に現れない闇価格は高騰し)、戦後の物価上昇を経て最終的に「キャラメル一箱百円、靴下三足千円」な現在に至る。

それにしても、すずさんってあの時まで闇市場のお世話に成ったことが無かったんだろうか?そうだとしたら、それが一般的な話なのか特殊事例なのか、よくわからない。東京を舞台にした作品だと、もうちょっとカジュアルに闇に頼ってる気がする。


戦前戦中の主婦雑誌に掲載されていたレシピを元に戦時の食生活を描く本。
日中戦争が始まった頃は、意識高い系奥様向けに「軍艦サラダ」「飛行機メンチボール」のような手の込んだ料理が紹介されていたのに、戦争が進むにつれて「如何に米を水増しするか」という方向に成っていき、さらには配給制度が始まり、最後には配給では必須カロリーを満たせなくなり...という。
そういえば、この本だと隣組をベースにして複数の家から材料を持ち寄って共同炊事をやっていたということだけど、『この世界の片隅に』だと漫画版も映画版も共同炊事の描写は無かった気がする。
この辺の事情は都市部と地方で大分違うのかもしれない。

それにしても、男手二人が海軍関係に勤務していて(流石にお義父さんは年齢的に大丈夫だろうけど、周作さんもぎりぎりまで招集されず)、ふたりとも家から通勤可能で(週末に労働力としてあてに出来る)、さらに畑もあるという北條家って当時としては大分恵まれていた方なんじゃなかろうか。

あと、1939年の段階で米の国内消費量のうち20%が植民地からの移入米というデータも出てて、八月十五日慟哭シーンの背景になってる。


決戦下のユートピア (文春文庫)

決戦下のユートピア (文春文庫)

そいやこの本で、モンペ着用については余りのダサさに「都会の娘 vs. 田舎のおばさん」的な対立があるという話だったけど、地方都市だとこの辺の対立はあんまり無かったんだろうかと気になった。すずさんがその辺に頓着しないのは分かるけど、元モガの徑子さんはどういう思いでモンペを着てたんだろうか。


造船士官の回想〈上〉 (新戦史シリーズ)

造船士官の回想〈上〉 (新戦史シリーズ)

造船士官の回想〈下〉 (新戦史シリーズ)

造船士官の回想〈下〉 (新戦史シリーズ)

著者は戦争中に呉工廠へ赴任。大和や武蔵の修理に関わってたりする。あと、第十一海軍航空廠で航空関連の仕事もしているので、北條のお義父さんと関わりが有ってもおかしくないのな。度重なる呉空襲についての記述も有ったりと、『この世界の片隅に』と関連しそうな部分が結構ある。
あと、海軍病院で兵員が多い病棟ではレコードでアメリカの曲ばかりがかかっていたという記述も有ったりと、映画中のワンシーンを思い起こさせる。


源田の剣 改訂増補版 米軍が見た「紫電改」戦闘機隊全記録

源田の剣 改訂増補版 米軍が見た「紫電改」戦闘機隊全記録

艦載機による呉空襲について、米軍側から見た記録を中心に再現した記述あり。"色彩豊かに弾幕が張られていた"というあのシーンについての米側証言も出てる。
あと、呉上空でドッグファイトしていたシーンが有ったけれど、あのときの日本機は第343海軍航空隊 戦闘301飛行隊所属で他に該当する部隊は無いとの事*1。隊長は最近一部でものっそ有名になってる、あの菅野直大尉。
第十一海軍航空廠で紫電改を作ってたし、あの光景を見たらそりゃお義父さんもたぎるよね。



とまあ色々書いたけど、特にこの手の知識とか無くても楽しめる映画です。画面一杯に情報がつぎ込まれているものの、別にそれを全て受け止める必要は無いはずです。むしろそういう余計なモノは放り投げて、笑い、泣き、あの「日常」を過ごした人たちに思いを馳せれば良いと思います。

*1:旧版による。増補改訂版だと変わってるかもしれない