「リスクにあなたは騙される」をダシにして何か語る

リスクにあなたは騙される (数理を愉しむ)

リスクにあなたは騙される (数理を愉しむ)

まずは本題に入る前に一つテスト。この記事を読んでどう思う?

福島の甲状腺がんは原発事故原因が決定的に(団藤 保晴) - 個人 - Yahoo!ニュース 福島の甲状腺がんは原発事故原因が決定的に(団藤 保晴) - 個人 - Yahoo!ニュース


「この論理展開すごい変じゃね?この記事に書かれてるデータだけでは"福島の甲状腺がん原発事故原因が決定的に"って話にはならないよね」と思った(ひねくれた)人はこの本を読む必要はあんまり無い・・・かというとそうでもなくて、北米でもこの手の記事がありふれてるって具体例が色々出てくるので読んで損は無いと思う。

逆に素直に「記事の書き手は良心的だし、調査報告に基づいた数字を出してるし、特に問題は無い気がする」と思った人はこの本を是非読んだ方が良い。損はしないはず。

ってことで以下から本題。

まずはamazonから内容紹介

9・11テロ後、アメリカでは自動車事故による死者が急増した。人々が飛行機を過度に恐れたためだ。死亡者数は1年でテロに遭った飛行機搭乗客のおよそ6倍。
環境汚染やネット犯罪など現代人は新たなリスクを抱えているが、実際に災難に遭う率はどれほどか?
気鋭のジャーナリストがその確率を具体的に示し、言葉やイメージで判断が揺らぐ人間の心理と、恐怖をあおる資本主義社会の構造を鋭く暴く必読書。解説/佐藤健太郎

池田のびーが推薦してたりするけどその辺はあんまり気にしないが吉。

概略

社会心理学的には、人間の心には2つのレイヤーがあるという。
一つめは"システム・ワン"。このシステムはアフリカの大地で現生人類が誕生して以降の数百万年の間に行われていたサバンナでの狩猟採集生活で鍛えられ続けた思考過程。高速かつ迅速に判断を下し、普通の人は(あなたも私も)基本的にこのシステムを使って日々日常を送ってる。この本での別名"「腹」"
もう一つは"システム・ツー"。いわゆる「理屈」ベースの考え。この本での別名は"「頭」"。「腹」より圧倒的に遅いし、常に働いているとは限らない。また、「頭」が常に正しいとも限らない。「腹」瞬間的に出した(誤った)結論にたいして理屈をこね回して正当化するために「頭」が使われたりする。

「腹」システムには(狩猟採集生活ではあまり表面化しないものの)現在社会には対応できない欠点がある。大きな数を扱うのは苦手だし、判断を下す直前に見たものに影響されやすいし、パターンを見出すことには長けているけどそのパターンが本当に正しいのか一歩引いて検証する能力はからっきし駄目。確率とか統計的な事を考えるにも向いてないし、周りの意見に強く影響されやすい。データではなく逸話やストーリーにも流されやすい。

また、自分や肉親に危害が及ぶかもしれないという恐怖は人にとって根源的で非常に強力な感情なので、マスコミ、広告、政治運動、NPO、Web上の煽り屋等など・・・は基本的に「頭」ではなく「腹」を標的に恐怖感を叩き込む。
結果として、世の中には「腹」へ恐怖を叩き込む情報が溢れかえるものの、「腹」に叩きこまれた諸々の恐怖と実際の統計的リスクとがかけ離れてしまう事になる。


といった感じの内容が、豊富な実例を元に説明されています。

比較対象は(見過ごされやすいけど)大事な要素

では冒頭で引いた記事の話に戻りましょう。記事タイトルのように"福島の甲状腺がん原発事故原因が決定的に"という事を言うには

原発事故の影響を受けた地域 事故の影響を受けなかった地域
調査により甲状腺がんと判定された人の数 A人 C人
調査により甲状腺がんと判定されなかった人の数 B人 D人

(上の図に補足すると、事故の影響を受けなかった地域でも原発事故の影響を受けた地域と同じレベルの甲状腺がん検査を行う必要があります。でないと比較出来ない。)

のA~Dについて数字を出した上で、「Bに対するAの比率」と「Dに対するCの比率」を比較ないと、原発事故の影響を受けた地域での甲状腺がん発症率の比率が高い事は示せないはずです。この辺は統計的にどうこうって以前の、基本的な考え方の話。でも、冒頭の記事ではAの領域だけ、引用元の日経新聞記事でもAとBの領域だけしか数字が出てない罠。
もちろん上の表は原発事故の健康被害に限った話ではなく、「○○の影響について調査したところ、✕✕であることが判明した」系の話には大抵あてはまります(リスクにあなたは騙される (数理を愉しむ)でも色々と取り上げられてます)。

ここでは別に、「記事の著者である団藤保晴氏はこんな事にすら気がつかない阿呆だ!」とかやり玉に上げたいわけでは有りません(確か2000年代頭ぐらいから結構記事を見てますし、全般的に信頼できる良心的な書き手であるという印象を受けています)。でも、「原発事故により甲状腺がんが増加する」というストーリーを「腹」に叩きこまれてしまうと、これだけ情報リテラシーに恵まれた人ですらこんな当たり前の理屈をスルーして結論を出してしまうという例としては適当だと思います。
これが福島原発事故以外の問題であれば、「C~Dの領域について調査を急ぐ必要がある」ぐらい書いてておかしくない人だと思うんですよね。

また、Aの領域しか見ないってのはこれに限った話でもなく、例えば昨今のファストフード異物混入事件では、特定のチェーンがやたらと槍玉に上がってるものの、報道では基本的にAの領域(ニュース性のある領域)しか取り上げられないという理由で過熱してる感じがします(リスクにあなたは騙される (数理を愉しむ)でもこの手の報道によってフィードバックが発生する例が腐るほど挙げられてます)。

いつも心にツッコミを

「比較対象をちゃんと考えろ」という考えは強力なツールですが、一方である問題に対して何もしなかったりとか、スルーするための口実として使いがちなこともまた(少なくとも自分にとっては)事実。
とはいえ、そもそも比較対象となるデータが存在しない場合、自前で比較対象をちゃんと取ろうとするとかなりのコストがかかる訳で。でも一方で「んなことは職業研究者なり、予算引っ張ってこれる立場の人がやれよ、自分でそんなコトする義理は全くないじゃないか」とも思う。
まあ、何かもっともらしい数字を出してる話を聞いたら無責任だと自覚しつつ

「ソース何よ?それ何と比較してるの?対照群をきちんと取るって理系だと常識だよね(ドヤァ」

みたいに軽くツッコミを入れる「やな奴」ポジションを維持していければなと。