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中田整一「トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所」感想

読書 雑記

トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所 (講談社文庫)

面白かったのでメモ。

得体の知れない敵国、日本を丸裸にするため、アメリカはすさまじい執念とエネルギーを費やし極秘に捕虜尋問センターを準備した。暗号名はトレイシー。日本人の国民性、心理、戦術、思想、都市の詳細などについて捕虜たちが提供した情報が、やがて日本の命運に大きくかかわってくる。講談社ノンフィクション賞受賞作。

米国が第二次大戦において行なっていた情報収集活動を扱った本としては「日本兵捕虜は何をしゃべったか」が有名です。
日本兵捕虜は何をしゃべったか (文春新書)

「トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所」では捕虜尋問センターで行われていた尋問手法や尋問体制についてさらに突っ込んで描かれています。

日本語の壁

捕虜を尋問するにはまず日本語を使えこなせないと行けないわけですが・・・開戦前は

米国海軍では両国の外国語能力を比較して、実用的な日本語を使えるアメリカ人一人に対して、英語を使える日本人は、十万人いると想定していた。

という状況。この辺、今でも英語圏だと「英語話せて当たり前」的な感覚がありますが、当時からあまり変わっていない気がする。そしてやっぱり

当時、アメリカ人の認識では、日本語は世界で最も難しい言語であり、一部では日本語を教えたり学んだりすることを、秘儀的なカルトのようにみる風潮があったという。

「日本語は難しい」という印象も当時から変わらず。"秘儀的なカルト"あたりは、日本人の日本語教師が何か変な感じの「日本語道」的な教え方してたんじゃないかなとも思います。まあ米軍は大戦中盤以降の情報戦で圧倒的な優位を獲得していく訳ですが、開戦前~初期の頃はこういう状態だったとのこと。ちなみに1947年には連合国全体で7502名の日本語要員が居たそうで。

幻のベルリン強襲作戦

捕虜の尋問や戦場に残された日本語書類の解析に日系二世兵士が果たした役割(とともに、2つの祖国に挟まれた苦悩)はよく知られていますが、本書で初めて知ったのが・・・連合国によるベルリン空襲に連動して日系二世兵士をベルリンへ降下させ、日本大使館から重要書類を奪取するという殴りこみ計画です。結局はドイツが無条件降伏したことで計画が実行されることはありませんでしたが、二世兵士がこの件に関係して欧州へと移送されていたとのことです。

零戦操縦士捕虜の謎

1943年4月9日に「い号作戦」に参加していた空母「隼鷹」航空隊搭乗員の零戦操縦士(と米軍がみなしていた)、大谷誠中尉(と調書にあるものの、偽名。米軍に対して偽名を名乗ることは日本兵捕虜の間では珍しくなかった)についての記述が中々面白いです。大谷中尉は海軍兵学校出身の正規士官でかつ零戦操縦士という立場から、米軍にとって非常に重要な情報源と見なされていました。どれぐらい重要視されていたかというと、空母「エンタープライズ」艦内を通訳同伴で見学させたりといった"異例の"扱いを受けるぐらいです。(実際に米軍空母を見せることで日米空母を比較するコメントを引き出し、日本空母についての情報を得ようという試み)

ただ、気になったのは作者後書きでの大谷氏について語られた下記の箇所。

戦後、自らの戦争体験などをもとに直木賞作家として多くの戦記文学で名を成したひとである。その著作の中でも捕虜となり、真珠湾に停泊した米国空母「エンタープライズ」の中での体験をさり気なく発表している。

後書き中では具体的な人名を出していませんが、海軍で艦載機操縦士、かつ「い号作戦」で捕虜になった人物というと、豊田譲氏で確定でしょう。

豊田穣 - Wikipedia

・・・・ただ、豊田氏は艦爆搭乗員のはずで、本当に大谷氏=豊田氏なのか疑問に思ったのでちょっと調べてみました。
豊田氏が戦後に描いたエッセイ「南十字星の戦場」および捕虜となるまでの状況を綴った作品「ニューカレドニア」を読むと、やはり艦爆操縦士であることが明記されています。

南十字星の戦場 (文春文庫 (159‐4))

また、アジア歴史資料センターのリファレンス番号C08051584800、「飛鷹飛行機隊戦闘行動調書」画像No.48を見ても、捕虜となった際の出撃で艦爆に乗っていたことは間違いありません。

となると、後書きの記述が誤りであり、大谷氏は豊田氏とは別人なのでしょうか?しかし米軍の調書に出てくる背景情報(海軍兵学校への入学年度や、父親が満鉄の駅長だったこと、捕虜となった状況やタイミング等)を考えるとやはり大谷氏=豊田氏で間違いなさそうです。

つまり、米軍は"有力な情報源"について肝心な所で誤解していたのではないか・・・という線が有力です。
豊田氏は偵察員と一緒に捕虜となっているため、単座の零戦搭乗員と誤認されるというのも考えにくい気がしますが・・・「ニューカレドニア」に偵察員の階級を士官だと偽ったエピソードが描かれており、米軍側から見ると「操縦士+偵察員」の艦爆搭乗員ペアではなく零戦の「操縦士」二名と認識されたのかなあとも思います。
この辺については豊田氏の捕虜時代の体験を綴った作品「長良川」に答えが出てるのかも知れませんが・・・・考えてみると物理的な本の数を減らすために買ったKindleで読んだ本の検証をするために物理的な本を買うというの本末転倒な気が・・・

長良川 (光人社NF文庫)