ベンフォード「タイムスケープ」感想(アニメ版「シュタインズ・ゲート」感想含む)

久方ぶりに「タイムスケープ」を読みなおしたのでメモ。(何故読みなおしたかというと、アニメ版「シュタインズ・ゲート」をニコ動の有料視聴パックで一気見したから)

タイムスケープ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

タイムスケープ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)


amazonあらすじ

1998年、世界は破滅に向かって突き進んでいた。慢性的な異常気象、食糧難、エネルギー危機…。北アフリカでは旱魃で住民がつぎつぎに餓死していく。そして南アメリカ沖で発生した赤潮は、地球的規模での大災厄の前ぶれだった。だが、すべては1960年代以降に使われはじめた農薬などの化学物質による環境汚染が原因なのだ。過去を変えぬかぎり、世界は救われない。―そこでケンブリッジの物理学者ジョン・レンフリューは、光よりも速い粒子タキオンを使って過去へ通信を送ろうと考えたが!タイム・パラドックスに挑む科学者を鮮やかに描く、ネビュラ賞受賞の傑作ハードSF。

タイムスケープ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

タイムスケープ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)


amazonあらすじ

1962年、カリフォルニアは平和だった。抜けるような青空の下、道には椰子の木が立ち並び、ラジオからはビーチ・ボーイズの曲が流れる。海の向こうで激化するヴェトナム戦争も知らぬげに、波打ちぎわでは若者がサーフィンに興じている。だが、カリフォルニア大学の物理学者ゴードン・バーンスタインは、核磁気共鳴実験に混入する雑音に悩まされていた。もちろん、それがゴードンの人生を、さらには世界の運命までも一変させる鍵であるとは知るはずもなかった。…ついに雑音の謎を解明したゴードンを待つ驚くべき真実とは?科学者作家が迫真の筆致で描きだす傑作ハードSF。ネビュラ賞受賞。

個人的にはベンフォードの小説の中でもダントツに面白いとは思うのですが、何故かamazon評価は低いな・・・。


まあ、基本アイデアとしては「過去へメッセージを送信することで歴史を改変できるのか。そのときパラドックスが発生するのか?」というこれまでの時間SFで散々使われてきた、ある意味陳腐なものです。
ただし、自身も物理学者であるベンフォードがこの作品で書こうとしたのは「時間SF小説」ではなく「科学者小説」。

核磁気共鳴についての平凡な実験をしていただけなのに、観測結果の解析中に正体不明のメッセージを発見してしまう過去パートの主人公である物理学者。
このメッセージの内容は半ばバックグラウンドノイズに埋もれており、部分的に内容を読めるものの、未来から来たということすらはっきりとは分からない状態です(パラドックスを回避するために、元々のメッセージ内容も敢えて未来からの通信という事実をぼかしている)。
そのメッセージの存在を周囲にうっかり漏らしてしまったが最後、教授会からは白眼視されるは、指導中だった博士課程の学生は選考試験で落とされるは、グラント(競争的研究資金)は獲得できないと言われるは、マスゴミから「宇宙人からの通信を傍受!!!」とか報道されるは、研究室にトンデモさんが訪ねてきてヤバイはと、職業人として追い詰められていきます。その一方で伝手を頼って他の大学の研究室へ実験の追試を依頼したり、メッセージの内容について他分野の研究者に確認をとってもらったりと、メッセージの内容について確信を深めることに。
正体不明のメッセージについて内容は確信が持てるが、かといって公的に発表してしまうとキャリアがオワタ状態に・・・・という「科学者としての生活」の合間に同棲相手との生活描写があったり、その同棲相手の実家に行って親に合ったりという何気ない等身大の「日常」の中で、ふと「宇宙」や「世界の構造」のような巨大なスケールの抽象概念がポンっと浮かび、矛盾する結果を全て説明するビジョンが現れる。
その「瞬間」に痺れる憧れる・・・・・かどうかは多分に読み手に左右される気がしますが、この本のメインテーマはプロットでもタイムパラドックスでもなく、この「世界の構造」が目の前に現れる「瞬間」を如何にリアルに表現するのかという点だと思うのです。

シュタインズ・ゲート」(アニメ版)ではこの「瞬間」を臨界値を超えた厨二病の発動として描き(23話ラスト)、ベンフォードは科学者という「職業」の日々の積み重ねの中に現れるものとして描いていますが、表面的な「時間SF」というジャンルの共通性以上に、この二作品はコアな部分での共通性が有るんじゃないかなあと。