「渚にて」の感想を書こうとしたら結局3.11と原発の話に成ったでござるの巻

渚にて―人類最後の日 (創元SF文庫)

渚にて―人類最後の日 (創元SF文庫)


旧約版(時代が時代だけに翻訳がこなれていないが、固い翻訳調な部分がかえっていい味になってる。個人的にはこっちのほうが好み)

渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)

渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)


新版

あらすじはこんな感じ。

第三次大戦が勃発し、ソ連と北大西洋条約諸国との交戦はソ中戦争へとエスカレートした。水爆とコバルト爆弾の炸裂する戦争はすぐに終結したが、放射能におおわれた北半球の諸国は死滅していった。
オーストラリアを初めとする南半球諸国は直接核戦争に巻き込まれることは無かったものの、北半球から拡散してくる放射性降下物により、半年後には人類の生存は不可能になると予想されていた。
そんな中、オーストラリア海軍のピーター・ホームズ少佐は、オーストラリアへ避難していた米海軍の原子力潜水艦による北半球への調査航海を命ぜられるが・・・

要は、「ただちに生命に影響が出るレベル」の放射性降下物が半年後に降ってくるという状況。

原発事故以降、毎日放射性降下物情報をチェックするうちに、ふと『こんな状況で「渚にて」を読み返したら、どんな感想になるだろうか』と思ったが運の尽き。読後一週間は欝モードに入り込んだが、とりあえず感想を書いてみる。

とりあえず、この本は「放射線災害」小説でも「来るべき核戦争」小説でもない。刻刻迫り来る放射性降下物という道具立てを使い、確実な死を前にして如何に死を受け入れていくのかという小説だ。
夢も希望も0%。どうあがいても人類滅亡。泣こうが喚こうが数カ月後には人類滅亡。ヒロイックな行いが描かれるものの、それが世界を救うわけでもなく、純愛も家庭愛も公共心も道徳も関係なく、数カ月後には人類滅亡。
そういう状況に置かれたときに、人はどう振舞うのか・・・というか、どう振舞うべきなのかって話だよね。結局、誰でも必ず遅かれ早かれ死ぬわけで。満足できる死に方が出来るかどうか・・・


てか、現実では死を受容するような余裕すら無く数万人の方々が亡くなったかと思うと、悲しさとか無力感とか絶望感とか怒りとか、そういう言葉では表現しきれないというか、何を書いても上滑りしてしまう。


一方で福島第一原発危機が収まってない現状では復興ビジョンすら描けず、これ以上の放射性物質の空気中への大量放出というシナリオを避けることができたとしても、数十年単位で原発の後処理や被曝による健康被害へ向きあう必要がある。(参考:サイトマップ | NPG Nature Asia-Pacific

かつて、「核の恐怖」を描いた作品は「渚にて」のような人類滅亡だったり、あるいは「黙示録3174年 (創元SF文庫)」や「北斗の拳」「マッドマックス」みたいな核戦争後に全てがご破算となり、文明崩壊ってな世界を描いていた。
でも、福島で想定される極最悪ケース(何号炉かがばっくり割れて大気中に放射性物質大量放出→原発敷地内で人が作業できる線量では無くなる→冷却できなくなった他の炉も次々と・・・)が仮に発生したとしても、(社会的な大混乱が起きるかもしれないが)人類滅亡や日本人滅亡といった終末は起こりそうになく「全てがご破算で文明崩壊、一からやり直し」も起きそうにない。もちろん世紀末救世主も出現しそうにない(考えて見れば、もはや「前世紀末」だな)。

結局のところ、物語のような「終末」も劇的な変化も無く、数十年〜数百年単位で負債を一歩一歩返済し続ける果てしない日常が待っているだけなんだろうか?
かつて、核戦争への恐怖が「渚にて」を生んだが、はたしてチェルノブイリや福島の後、この「負債」を描く何かしらの作品が出てくるんだろうか?(出てるけど気付いていないだけかもしれないが)


・・・・読み返してみると、ビックリするほどディストピアだった。でも良いや。公開。