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発言者たち

読書

発言者たち (文春文庫)

発言者たち (文春文庫)

↓を読んでて清水義範「発言者たち」を思い出したので再読してみた。

つまんないのに精力的にアウトプットする人達をどうにかしてほしい つまんないのに精力的にアウトプットする人達をどうにかしてほしい

「発言者たち」のあらすじはこんな感じ。

主人公は中堅どころの社会派ノンフィクションライター。編集者との打ち合わせ中、ふと話題になった読者からの「出版社へのお叱りの手紙」をきっかけに「市井の人々」「無名人」を題材に小説を小説を書かないかと提案される。そして主人公は投書マニアやらテレビ局への抗議の電話マニアやら手紙で勝手に近況エッセイを送りつけてくる作家崩れやら文壇ゴロやらパソ通やら地方文化人やらの「無名人」の発言と向き合っていくことになるが・・・

まず押さえて欲しいのは、この作品の書かれた時期。元々「オール読売」上で'91年〜93年に連載されており、単行本の出版が'93年。当時はまだインターネットは一般に普及しておらず、ニフィティサーブ等のパソコン通信は存在したものの、有料会員向けのクローズドなサービスであり、電話代もバカにならなかったので一般人にはまだまだ遠い存在だった。もちろん"マスゴミ"なんて言葉もなく、まだ主流"マスコミ"の権威は疑われていなかった時代だ。
にもかかわらず、主人公が遭遇する「無名人」の発言やストーリー展開が、90年代後半の2chや2000年代前半のブログ論壇(これも今や懐かしい言葉だな・・・)から今につながるネット上での"マスゴミ"認識を先取りした内容で面白い。

下の引用は、雑誌に「お叱りの手紙」を送りつけることが趣味の爺さんの発言からの引用なんだけれど。

「要するに、お前たちたまたまそこにいるってことで、さもなんでも知っているような顔をして好き勝手に発言しておるんだが、いいかげんにしろよ、ということだわな。どうしてお前たちは自分の乏しい知識だけで、偉そうに社会的発言をしておるんだ。冗談ではないぞ、私にも言わせろ、ということだ」

いやこれ、ネット上の"マスゴミ"叩きのメンタリティとほぼ同じじゃね?表現を変えれば2chやら時事ブログあたりで書かれていても全く違和感が無いレベル。

まあ、それはともかく・・・序盤では主人公は"自分はあくまでマスコミ業界の「中の人」であり、そこいらの「無名人」とは違うのだ"的な、無意識のうちに一段上から相手を見下すスタンスで、(レベルの低い)意見を押し付けてくる「無名人たち」への嫌悪を隠さない。冒頭で引用した「"つまんないのに精力的にアウトプットする人達」と似通ったメンタリティを感じる。
正直、Twitter上で不用意な見下し発言をして炎上しそうなタイプだ。

ところが物語の中盤以降・・・

どんな人間でも、己の意を世界に対して投影したいと、発言欲を持っている。
なのに、発言の権利というものは、万人に対して公平には配られていない。金持ちと貧乏人がいるのと同じように、発言権有りの人間と、なしの人間とに分けられている。自分の発言を世に投げかけることの出来ない人にしてみれば、それはどうにも不満なことなのだ。俺の言う事をきけ、と怒鳴りだしたいような気分でいるわけだ。

(中略)

では、名を出して文筆活動をしている人間だけが、ほんとうに自分の発言をしているのか。作家とか、評論家とか、とりあえず匿名ではなく発言する人々。
私も、一応その中に入る。北岡欽一(引用注:主人公と仕事仲間のノンフィクションライター)は、ようやくそういうものになれた。
そういう人間の発言だけが、本音の発言だということになるのか。
そこまで考えて番匠(引用注:主人公)は、急に頭から水をぶっかけられたような気分になってしまった。
とてもではないがそんな立派なものではないぞ、と思ってしまったのだ。

と、マスコミ業界人として「書く側」であることが当たり前という認識が崩れ始める。果てには主人公が嫌悪する「無名の発言者たち」と自分との間には実は差が無いんじゃないかという
ところまで行き着いてしまい、スランプに陥ってしまう。
まあ、ラストでは"ある出来事"をきっかけとして、再び「書くこと、発言すること」に意味を見出すわけだが、その"ある出来事"の部分だけがなんというか他の部分と不釣合なぐらい拍子抜けというか、結局マスコミなのかよ!というか、テラ昭和!というか・・・・まあ、書かれた時代が時代だけにしょうがないんだろうな。
結論としては、時代を超えた先見性と時代の限界を併せ持つ作品。読んどいて損はないと思う。

てか今こそ評価を受けそうな本なのに何で再刊されてないんだか。