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安易に「国民性」を語るのは危険というか、単にステロタイプ - 続く

前回のエントリについて。トラバをいたたいたので激しく遅れてしまったもののお返事を。

どのみち平行線な議論になるかとは思いますが(どちらかが正しい/誤っているという話ではないので)付き合っていただければ幸いです。

違和感について

「<一>最初にお断りさせて頂きたいこと-(1)違和感の第1点」について

私は別に敗因を国民性に求めていませんし、そもそも敗因など論じてはおらず、また国民性が戦争に与える影響を論じてもいないので、少々、この御指摘には困惑しております。
あくまで、歴史上の異文化接触を通じて際だってくる日本人の「国民性」と思しきものを抽出しようとしているだけであり、そのための素材として戦争が使いやすかったというだけなのですが。

了解しました。ただ、挙げられている事例(白村江・朝鮮出兵・太平洋戦争)のうち、前二者については”「国民性」と思しきものを抽出”するには不適当だと思います(そもそも”「国民性」と思しきものを抽出”する意味があるかどうかについては後述します)。要は元寇について取り上げなかった根拠で述べられているような

時代背景によってもたらされた鎌倉武士のやむを得ない非組織性を、非組織的な国民性の根拠とするのは不公正であると考えます。

との考えが、自分としては白村江・朝鮮出兵の事例にも当てはまるのではないかと思います。前回のエントリ内容(国民性の問題というより、中央集権型の軍隊と封建制軍隊の違いじゃないの?)は、その点についての指摘を意図したものです。

「<一>最初にお断りさせて頂きたいこと-違和感の第2点」について

「こういう国民性だから駄目なんだ」的な一方的な議論は遠慮したい
http://d.hatena.ne.jp/ka-ka_xyz/20100704/1278250203

このご意見には私としては全面的に同意したいところです。
ただ、どうも私がこのような議論をしているかのように思われている気がして、違和感が。
私は確かに日本人に、国民性として不得手があると主張しましたが、だから日本人はダメなんだとか、日本はもう終わりだとか主張した覚えは別にありません。

「こういう国民性だから駄目なんだ」と言う書き方は確かに不適当だったと思います。ただ、「国民性」を語る上で不得手のみをクローズアップするという書き方は、trushbasket様の意図にかかわらず「こういう国民性だから駄目なんだ」という結論へ誤誘導されやすいかと思われます。

以下、見解の相違について

前回のエントリのタイトルについて、というか「国民性」について

個人的には、「国民性」って言葉は幅広く使え過ぎ、定義も曖昧なので敬遠したいところです。特定の時代や環境下に置かれた特定の組織について、思考や行動様式に方向性が存在することはあるとは思いますし(前回のエントリで書いたような、明治期以降の日本型組織等)それを分析することは有益だと思います。
ただ、1000年レベルで首尾一貫している"民族の特性"的な意味で「国民性」という言葉を使っちゃうのは、個人的な趣味ですが、余りに安易じゃないかと。例えば極端な例ですが、全盛期の古代ローマ帝国の史料を元にしたラテン人の「国民性」は、現代のイタリア人を語る上で有益なんでしょうか?白村江や朝鮮出兵を題材として日本人の「国民性」を考察するという手法は、ここまで極端ではないにせよ、同じようなことをしている気がします。

白村江の捉え方

このへんはもう「見解の相違」としか言いようのない気が。わざわざ「国民性」というマジックワードを持ち出す必要はないというのがこちらの考えです。

朝鮮出兵について

当時のヨーロッパと日本についての比較という視点が出ているので、そちらをメインで書いてみます。

(なお、戦国の日本の軍隊について、ヨーロッパ人が、ヨーロッパでは伍長とか百人隊長とかがいるが、日本ではそういうことは気にしないみたいに言っていたりもます。私の知る限り、まったくそれっぽい存在がないわけではないのですが、ヨーロッパ人の目からみればいないも同然だったのでしょう。

当時のヨーロッパ人宣教師の証言は、異文化の視点から日本社会を観察したものとして貴重ではあります。しかし、彼らは戦争の玄人ではないし日本と欧州の双方で直接戦闘に参加した訳でも無いので、根拠としては不十分かと。一応日本でも「」という戦術単位が存在し、伍長とか百人隊長に相当するポジションはある訳で。そういうポジションが無いとそもそもグループとしてまとまって行動することは不可能でしょう(上からの命令に従うピラミッド型組織になっているかどうかはまた別問題ですが)。
一方、ヨーロッパの軍隊はそんなに規律を重視していたのか?というと実際そうではなさそうで。日本と直接比較したものではないですが以下のような感じです。

規律という考えはあまりに軍事生活についての我々の考えの一部になっているので、それが一七世紀ヨーロッパの戦争に現れた新しい現象であることを知ることは難しい。封建騎士は全体として見事に無規律だった。傭兵やスペイン部隊(テルシオ)も同様であった。彼らは、道具を持ってやってきて、仕事をするだけの人々であり、お互いに、身分ではなく機能で区別される、対等な者同士だとみなしていた。規律は歓迎される考えでは無かった。
(「ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫)」より。強調は引用者)

いやまあ、もちろん一部には規律正しい傭兵部隊(バチカンのスイス人傭兵とか)は存在しているにせよ、大枠で見ればこんなものですよ。ヨーロッパの軍隊において規律が重視されるのはもうちょい後のはずです。
また、欧州と日本の軍隊組織の違いについては「戦国軍事史への挑戦 ~疑問だらけの戦国合戦像 (歴史新書y)」でも考察されており、"日本とヨーロッパの軍隊に本格的な違いが出てくるのは一六世紀後半以降、ヨーロッパで燧石銃が本格的に採用された後。"と述べられています。もっとも著者は"職人芸を好む日本人にはヨーロッパ式の軍隊は受け入れられなかっただろう"との結論を出しており、この結論には同意しませんが・・・各大名家の軍律・規律事情(「抜け駆け」や逃走の扱い)についても考察されていて結構面白いのでおすすめです。

太平洋戦争について

ここからは1000年レベルで首尾一貫している"民族の特性"的な意味での「国民性」ではなく、明治期以降の「日本型組織」について。

日本人に総合的・計画的なチームワークが欠けている

このへんは条件付き同意。日本型組織に欠けている要素というより、アメリカが突出している要素と言ったほうがいい気がしますが。
日本以外の例だと、たとえばアメリカとドイツの比較ですが・・・「補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)」ではWW2欧州戦の例として、ドイツの「バルバロッサ作戦」「北アフリカ作戦」と連合軍(実質的には米国)の「ノルマンディー上陸作戦」「ドイツ本国侵攻」を挙げています。米国のシステマティックで作戦計画と統合された補給システムと比較すると、ドイツの補給システムの無計画さや作戦とのすり合わせの悪さが浮き彫りに・・・。
日本だけが突出してこの手の能力に欠けているのであれば、"「日本人に総合的・計画的なチームワークが欠けている」のでどのように克服すべきか"とか問題提起が生きると思うんですが、アメリカが突出している要素についてはむしろ、”20世紀以降のアメリカが、どのような経緯でずば抜けた総合的・計画的なチームワーク能力を持つようになったのか”というアプローチの方が有効のような。

あと、「チームワーク」という言葉は誤解をまねくというか、上手い言い方が思いつかないんですが「システマティックな組織運営」とかの言い方が妥当じゃないかと。