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鴎外最大の悲劇

読書 脚気

脚氣ハ果タシテヴィタミンB缺乏症ナルカ - NATROMの日記 脚氣ハ果タシテヴィタミンB缺乏症ナルカ - NATROMの日記

当時の脚気論争についてのエントリが面白かったので、この本を紹介してみる。

鴎外最大の悲劇 (新潮選書)

鴎外最大の悲劇 (新潮選書)

文学者であると同時に陸軍の軍医総監でもあった森林太郎森鴎外)が日本陸軍の脚気論争にどのように関わっていたか(というか、結果的には脚気対策をどのように妨害したか)についての本。

まず、前提条件として、明治初期の日本で脚気が大流行したのは、白米食が一気に浸透したもののおかずの量が少なかったために、必須栄養素(今でいうビタミンB)が不足したことによる。麦飯や雑穀をとることで(あるいは現在のように白米と比べておかずを増やすことで)ビタミンを補い、脚気を防ぐことが可能だった。ただし、当時は西洋も含めて「ビタミン」という概念自体が無かったため、脚気の原因として「病原体説」と「栄養不足説」が唱えられ、激しく対立していた。

で、脚気論争史で必ず取り上げられるのが、「兵食問題」というキーワード。平たく言うと、日清戦争当時、日本海軍はいち早く兵食の洋食化や麦飯導入を進めることで脚気の大流行を防いだものの、日本陸軍は白米至上主義を貫いたために脚気の大流行を引き起こした(全く陸軍はやることなす事全て合理的じゃ無いよね)というお話。
しかし、意外や意外。実は陸軍も明治18年(日清戦争開戦の9年前)の段階で麦食を取り入れ、結果として脚気の発生が大幅に減少していたという。しかも、上層部の議論を無視して現場主導で麦飯が導入されていたらしい。
p114掲載されている以下の表を見ると手っ取り早い。



















明治年 脚気患者数(%) 引用者による付記
11 37.6
12 27.0
13 17.7
14 17.1
15 19.9
16 25.5
17 27.7 大阪鎮台で12月より麦飯支給開始
18*1
麦飯の採用が各地の部隊に広がったことを受けて、兵食として麦飯等の雑穀混用を認める公式通達(達乙五十三号)が出る
19 3.9 近衛師団で麦飯支給が開始
20 5.0
21 3.9
22 1.7 7師団中5師団がすでに麦飯採用済み。一方で、森林太郎森鴎外)による陸軍兵食試験試験では白米中心食の優秀性を支持
23 1.1
24 0.5 ほぼ全軍で麦飯へ切り替え済み
25 0.1
26 0.2

20%以上も珍しくなかった脚気発生率が、麦飯支給を認めてから数年後には1%を切っていたのだ。普通に考えれば、麦飯食と脚気の発生に(因果関係があるかどうかはともかく)相関関係が有るのは確かなので、次に因果関係があるかどうかを医学的に検証してみるべきなんだが・・・・「病原体説」を重視する陸軍軍医本部(森林太郎も「病原体説」派)では全力で無視され、むしろ”白米食の優秀さは陸軍兵食試験で実証されている”ため、食料の問題ではなく、脚気の流行が収まったためであると解釈されていた。

また、麦飯を初めて導入したのが歩兵第8連隊を中核とする大阪鎮台であるところも注目。あの「またも負けたか8連隊」という兵隊民謡まで作られるぐらいに不当に"弱兵"イメージが強い第8連隊(Wikipediaで"決して弱かったわけではでなく"と書かれるほど)だが、このような合理性は流石。

まあ、ここまでであれば「上層部の無能を現場の努力で補った」ぐらいの話で済んだと思うが、明治27年に日清戦争が始まってから状況は一変する。平時であれば各師団・連隊などの部隊単位で食料を調達するため、部隊単位で麦飯が採用されていたが、外征先での食料調達は陸軍全体で一括管理されるのだ。結果として、外征部隊には白米食が支給され、脚気がまたまた大流行。
また、自身も第二軍軍医部長として現地に居た森林太郎は、どうも脚気患者を過少申告していたらしく、彼の報告する脚気患者数が異常に少なかったり、逆にうるさ型の上司の下に配属されると脚気患者の報告数が一気に100人以上増えたりといろいろと怪しい動きが目立つ。まあ、脚気病原体説を唱える事自体は当時としては仕方が無いとは思うが、自分に都合の悪い記録(脚気患者数)をあからさまに操作するのは科学者としても医者としてもどうかと。また、麦食採用の稟議を握りつぶしたりといろいろ大活躍。
しかも、日露戦争でも同じようなパターンが繰り返されていた。彼の属する第三軍では統計上の脚気患者数が他の軍と比較して非常に少ないものの、逆に「平病」(その他の病気)とされて内地に送還された兵員数が異常に多かったりと怪しすぎる。

正直、こういう人物が罷免もされず軍医総監まで登りつめてしまう陸軍という組織は異常。一方で、現場主導で平時の脚気をほぼ根絶してしまうような優秀さもあるんだけど。

*1:
明治18年度は兵員数未詳のため未算出