失敗の本質−日本軍の組織論的研究

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

今更こんなところで紹介する必要も無いような、戦史研究の(そして日本型組織研究の)”古典”。先の大戦に興味を持つ真面目なミリヲタなら、本書と「海上護衛戦 (学研M文庫)」は必ず読んでるはず(読んでない奴はモグリ)と言い切ってもいいぐらい。
(漏れがこの本のことをはじめて知ったのは、「MURAJI's Book Page」のこの書評。もう10年以上経ってるのか・・・呆然)
それはさておき、今日、上司が会社に届いたamazon箱を開けていきなりコレを取り出したので、その場で大プッシュしといた。ついでに改めて読み直してみた感想を書き留めてみる。

本書の構成としては、第一章「失敗の事例研究」で旧軍の失敗事例について作戦レベルでの分析と考察を行い、第二章「失敗の本質」ではそのような結果を招いた原因を組織論的に解析し、第三章「失敗の教訓」では旧軍組織の長所を継承した組織としての「日本的企業組織」の解析を行っている。

本書のハードカバー版が出版されたのは1983年。まだバブルも加熱しておらず、まだまだ”日本的年功序列組織”が絶賛され、”サラリーマンの終身雇用が当たり前”だった時代だ。それを踏まえて第三章「失敗の教訓」を読んでみると、いろいろと興味深い。

とりあえず、本書で指摘されている日本軍の組織的欠陥として一番大きなものは、”外部環境の変化に対応する柔軟性を欠いていた”ってことろだろう。日本軍は、日清・日露戦争や、中国大陸戦線での経験をもとに組織・戦略・戦術が最適化されていた(言い方を変えれば固定化していた)。この点では対日開戦直後の米軍も同様で、特に何か斬新な思想があった訳ではない。むしろ実戦経験で先行していた日本軍に対し、米軍は緒戦では敗退を続けた。
問題はその後、実戦経験や技術の進歩を柔軟に取り入れた米軍に対して、日本陸軍は対米・対英戦という新しいシチュエーションに適応できず、中国大陸と同じような「不利だとしても、とりあえず押しておけば勝てる」という感じで戦闘を行い、結果的に手も足も出ない状況に陥った(特にガダルカナル・インパールで顕著)。日本海軍のほうも同様で、空母機動部隊という先進的な戦術思想による優位を生かすことができたのは緒戦だけで、その後は一方的に押し込められる展開となった。

このような日本軍に対する組織的欠陥の分析を元に、日本軍の組織的特性を創造的破壊を行いつつ継承して成功した例として日本的会社組織を取り上げ、日本企業に対する以下のような分析結果が示されている。

(敗戦により)これまでの伝統的な経営層が一層も二層もいなくなり、思い切った若手抜擢が行われたのである。その結果、官僚制の破壊と組織内民主化が著しく進展し、日本軍のもっとも優れていた下士官や兵のバイタリティがわき上がるような組織が誕生したのである。

90年代終盤以降の日本企業が、若手をアウトソース・派遣として組織から外に出し、マネジメント層を保護した状況と比べるとなんと皮肉な・・・・

(日本企業の組織的特性から)以上のような強みは、大きなブレイクスルーを生み出すことよりも、ひとつのアイデアの洗練に適している。製品ライフサイクルの成長後期以後で日本企業が強みを発揮するのはこのためである。

上のような主張は、当時としても珍しくは無かったと思うが、90年代以降、米国を中心としたIT系イノベーションの連続に対して、「日本企業が強みを発揮」できなかったのは何故かというと・・・

我々の得意とする体験的学習だけからでは予測の付かない環境の構造変化が起こりつつある今日、これまで成長期にうまく適応してきた戦略と組織の変革が求められているのである。特に、異質性や異端の排除と結びついた発想や行動の均質性という日本企業のもつ特質が、逆機能化する可能性すらある。

日本的企業組織も、新たな環境変化に対応するために、自己革新能力を創造できるかどうかが問われているのである。

この辺の問題意識は的を得ていたものの、組織が自己革新を行うには、結局のところこれまでの成功体験にしがみ付くトップ層が何らかの形で排除されるしかないのに、大企業ほど若手が切り捨てられてトップ層がそのまま生き残ってるっぽいところがまた問題が深い。そして、第一章で取り上げられているような「現場とトップ層の温度差と相互不信」がますます深まり・・・本書で取り上げている題材が題材なだけに、明るい結論が浮かばない。